「不思議な縁」ジープ島開島者が「タイタニック」映画監督と過去に面会、タイタニック生存者、開島者がともに新潟県上越市出身
今月、にいがた経済新聞でタイタニック号に関する記事を掲載し反響を呼んだが、レオナルド・ディカプリオ主演で1997年に公開され、大ヒットしたハリウッド映画「タイタニック」の監督と、過去に面会したことがある新潟県上越市出身の人物がいたことがこのほど判明した。
その人物は、赤道直下のミクロネシア連邦チューク州の孤島、ジープ島開島者の吉田宏司さんだ。ここ数年はコロナ禍で日本に帰国し、上越市と東京に拠点を構えており、上越市にいる時に何度か筆者もインタビューしている。吉田さんは全国ネットのテレビや有名雑誌にも何度も出演している有名人でもある。
その吉田さんは、かつて映画「タイタニック」監督のジェームズ・キャメロン氏や俳優とジープ島の近くのパーティー会場で酒を飲み交わし、話したことがあるという。
「2000年か2001年くらいに、私にジープ島をくれたキミオ・アイセック氏の71歳の誕生パーティーに来ていました。主演の2人はいなくて、ジェームズ・キャメロン監督と、調査船キャプテン役のビル・バクストン、タイタニックが沈んだ経緯を説明する役のルイス・アバナシーがいました。この3人は私の目の前に座っていて、お互いのウィスキーやタバコを飲んだり吸ったりしていましたね。3人とも気さくで酔っ払いながらバーへ行き、さらに飲み続け、いつしか南国の夜が老けていったのを今でも覚えています」(吉田さん)。
また、ジェームズ・キャメロン監督の様子はこうだったという。
「日本の真珠湾攻撃の約4年後が当時、日本統治だったトラック環礁の日本海軍へのトラック大空襲でした。監督は、そのトラック大空襲、オペレーションネーム・ハイルストーム雨霰作戦における映画を作りたいと言っていたような気がします」(吉田さん)。
映画のポスターは、ミクロネシア連邦チューク州の旧トラック諸島にあるキミオ・アイセック氏のホテル「ブルーラグーンリゾート」内にあり、映画水中監督のアル・ギディングスのサインがあり、彼からのプレゼントだという。
今から111年前に実際にあったタイタニック沈没事故で、日本人唯一の生還者は上越市出身の細野正文氏である。まことに、不思議な縁と言えるだろう。ちなみに、細野氏の孫は、先ごろ亡くなった坂本龍一氏が参加していた日本の音楽グループ「イエローマジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーである細野晴臣氏だ。
吉田さんは「まさか、タイタニックの唯一の日本人の生存者が上越市出身とは。何か、大変不思議な縁を感じざるをえません」と話している。
(文・梅川康輝)
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