「いつまで経っても超えられない人」渡邊洋治氏の生誕100周年記念講演会・原図展で甥の一級建築士・佐藤武志氏などが講演

生誕100周年記念講演会の様子

新潟県上越市出身で、「狂気の建築家」と呼ばれた渡邊洋治氏の生誕100周年記念講演会・原図展(ナナメの会、斜めの家再生プロジェジェクト主催)が6月10日、上越市の直江津学びの交流館1階で開催され、上越市内外から約60人が会場に集まった。

講演会は4部構成で行われ、第1部では渡邊洋治氏の甥で一級建築士の佐藤武志氏が渡邊洋治氏について約1時間語った。佐藤氏は「渡邊さんは、いつまで経っても超えられない人」と話し、「ものを決めるのが早い。あっという間に図面を書いて、コンセプトを決める。案を作るのがとても早い」と語った。また、渡邊氏の代表作は東京・新宿に建設した通称・軍艦ビルと呼ばれる「第3スカイビル」だが、佐藤氏は、「私が『第3スカイビルが一番好きですか』と聞くと、渡邊さんは『うーん』と言っていた。本人はあまり喜ばなかった。新宿のど真ん中に恥ずかしいものは作れないという気持ちがあったのではないか」と話した。

第1部で講演した佐藤武志氏

第2部では、イタリア人で東京大学生産技術研究所客員研究員のジョセフィンさんがスライドで日本語の説明文を写し、英語で講演した。ジョセフィンさんは現在、日本における戦後建築の歴史などを研究している。ジョセフィンさんは、「渡邊さんは、豊かな想像力と概念化の才能に恵まれていたが、彼の性格のために彼の全ての才能を完全に理解することは困難と思われる。それにも関わらず、渡邊さんは様々な形で遺産を残したが、この遺産は彼と彼の建築について、まだ探究すべきことがたくさんあることを示している」などと語った。

第2部で講演したジョセフィンさん

その後、第3部は一級建築士の鴨居貞明氏が「渡邊洋治と渡邊邦夫」と題して講演、第4部はナナメの回主宰で建築家(一級建築士)の中野一敏氏が「『斜めの家』の空間とデザイン」と題して講演し、この日の集会を締め括った。

渡邊洋治氏は、1923年上越市生まれ。高田商工学校(現県立上越総合技術高校)を卒業し、日本ステンレス直江津工場に就職。戦時中徴兵されたが、戦後は上京し、1955年から3年間早稲田大学吉阪研究所助手を務めた。1958年に独立し、渡邊建築事務所を開設。第3スカイビル(東京都)のほか、善導寺(新潟県糸魚川市)、龍の砦(静岡県)など数々の代表作を残し、海外でもその名が知られた。1983年には、アメリカ・モンタナ州立大学、ニュージーランド・オークランド大学で招聘講演を実施。1983年11月2日に急逝、享年60歳で永眠した。

渡邊氏最後の実作である新潟県上越市にある「斜めの家」

 

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