植物を愛した牧野富太郎博士の人柄知って 長岡市立科学博物館で企画展 6月28日まで
「植物を見られることが、嬉しくて仕方ない」とでもいうような満面な笑みで、蝶ネクタイを身につけて、首からオニバスをぶら下げている、いかにも好好翁という感じの老紳士が写った一枚の写真がある。2023年4月3日から放送されている、NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公・槙野万太郎のモデルとなった77歳の牧野富太郎博士その人である。
新潟県長岡市幸町にある長岡市立科学博物館では5月2日から企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物-博士につながる標本から-」を開催している。本展示では、日本の植物学の基礎を作った牧野博士の人柄や、新潟の研究者との交流を示す資料などを公開。特に、県内では初公開となる博士直筆の葉書等なども展示されている。
牧野博士が産まれたのは、現在の高知県高岡郡佐川町。今から約160年前の江戸時代末期のことである。ちょうど、博士が植物を学び始めた明治時代は、西洋から植物学や分類学の知識が新しく国内にもたらされた時代である。それまで、本草学といわれる、主に薬草を対象とし、植物の見分け方や利用の仕方に重点を置いていた日本的な植物の研究方法から、科学的に植物の形質に注目し、分類していく研究方法へと切り替わっていく転換の時期だった。そのような中、博士は西洋の分類学的な方法を取り入れ、いち早く世界に通じる日本の植物学の確立を目指した。
自らを「植物の生まれ変わり」または、「草木の精である」とした博士は、野外調査のときには、まるで恋人にでも会いに行くかのように、蝶ネクタイを結び、正装して向かったという。後に「日本の植物分類学の父」とされる博士は全国各地を訪れ、1500種以上の植物を命名した他、収集した標本は40万枚にも上るとされている。新潟県内には、佐渡や弥彦村など、判明しているだけでも5回も訪れている。一説では、新潟県の木として知られている「ユキツバキ」の命名も博士によるものとされる。
博士の偉大な功績のひとつが、「ムジナモ」(Aldrovanda vesiculosa)の発見である。同植物は、プランクトンなどを捕食する食虫植物で、“ムジナ”というアナグマの尾に似ている姿を持つことから名付けられた。当時はヨーロッパなど一部の地域で見つかっていただけで、アジアには生育しないとされていたものを、博士は1890年に東京で発見し、同植物の世界的な分布図を塗り替えた。さらに、博士が描いたスケッチには、花が咲くことが珍しく、咲いたとしても数時間で枯れてしまうとされていたムジナモの花の様子が詳細にスケッチされており、当時の海外研究者たちを驚かせたという。
また、日本の植物学会を世界水準のものにするため、わが国で初めて、植物学の学会誌を創刊し、英語による論文執筆なども行った。さらに、より多くの人に植物のことを知ってもらいたいという想いから、植物図鑑を刊行。博士によって編纂された『牧野日本植物図鑑』は、その後何度も改訂を重ね、現在でも植物に関心のある人たちの間では重宝されているという。「日本のすべての植物を知りたい」という夢と、ただただ「植物が好き」という純粋な原動力を基に、日本の近代植物学の基礎を築き、生涯にわたって植物を記録する地道な活動を続けていった。
「他の植物学者なら興味を示しにくいような、地域ごとの植物に関する名前まで集めていた博士は、植物のことなら何でも知りたい、人に伝えたいという想いが強かったのだろう」と鳥居憲親学芸員(35歳)は推測する。
今回の企画展の素案が生まれたのは、昨年、『らんまん』の企画が公表されてからのことである。新潟県立植物園の学芸員と話す中で「共催」という形で実現した。
「牧野富太郎博士といえば、業績がいっぱいあって固い先生というイメージを持つ方も多いが、今回の展示で牧野博士のフランクなところを伝えたい」と櫻井幸枝学芸員(47歳)は語る。実際に展示を見た人からは、「(博士に対する)イメージが変わった」といった声も寄せられるという。
「植物が好き」という新潟県弥彦村から訪れた70歳男性は、「(長岡市内にある)雪国植物園によってからこちらに来た。今、(牧野博士のことが)テレビでもやってるんで、詳しく知ることができてうれしい」と感想を述べた。
来場者数は、6月17日時点で3,300人にのぼる。6月28日までの展示である。
(文・撮影 湯本泰隆)