【空の逸話】廃止から甦った新潟―福岡航路、地域間路線に奇跡を起こした「人の熱」
事実上の廃止が決まっていた新潟―福岡
2023年、新潟空港の話題と言えば、トキエア株
式会社が開設する新潟―札幌丘珠の新たな地域間路線誕生。従来の新潟―新千歳間に比べ、運賃が半額程度に抑え
られるLCCということで多大な期待を集めている。8月10日に開業予定日を延期したが、新潟発の航空会社だけに「なんとか開業に漕ぎつけてほしい」という地元からの応援の声は止まない。北海道に取引先や出先を置くビジネスマンや北海道旅行を手軽に楽しみたい向きも就航を待ち焦がれている。
実は新潟空港と結ぶ地方間路線には、過去に一度、驚くべき奇跡ともいうべき逸話が残されている。航空会社が廃止を届け出た路線が、その後に廃止撤回となり、現在は潤沢な搭乗率を誇る繁盛路線にまでなったという大逆転劇。当時の泉田裕彦県知事が「(国の担当官に)後にも先にもこんなことはないだろうと言われた」と目を丸くした奇跡のドラマ。
それが起こったのは、2007年に全日空から路線廃止届が出された定期便・新潟―福岡路線だった。全日空側が廃止を決めた同路線は、当時の平均搭乗率が64%と決して不採算路線ではなかった。なぜ廃止候補に挙がったのか。地方空港と地方空港を結ぶのではなく、伊丹などターミナル空港を経由して、そこから地方空港に飛ばすというシンプルローテーションを目指す会社の内部事情に翻弄された決定だった。
「警備会社なので社員を空港に派遣している関係もありますが、それ以前に私自身が新潟市東区の生まれ育ちなもので、新潟空港には昔から愛着がありましてね。地域間路線が次々と廃止になって空港が衰退していく姿を見過ごせない気持ちがあったのです」と話すのは新潟綜合警備保障株式会社(新潟市東区)の代表取締役社長・廣田幹人氏。ご本人はそれまで、九州に深い縁があったわけではなかったが、どういうわけかこの時は「何とかできないか」という気持ちがふつふつと沸いたという。
博多山笠「追い山」のごとき
そして廣田氏は、知人・友人に声をかけて、新潟―福岡路線の存続運動を展開する「フレンドシップ絆」という任意団体を作った。
「2007年の博多祇園山笠を友人と見に行った時の、得も言われぬ熱気にショックを受けましてね。人だかりでほとんど見えなかったのですが、人の持つエネルギーが振動となって伝わってくるのです。その翌年6月、博多山笠宣伝隊の人たちが新潟県庁に訪れた時に、思い切って挨拶をしにいったのです。その時はもう『この人たちと繋がったら何かが起きるかもしれない』という一心ですね」(廣田氏)
人の熱が、また人を惹きつける、そういう現象が起こる。廣田氏が活動していた青年会議所のつながりで、福岡JCのメンバーと連絡をとった。その中に、後に第二次岸田内閣で財務副大臣を務める井上貴博氏(当時は福岡県議)がいた。井上氏から博多山笠の主要メンバーに紹介してもらい、また訪ねた先で山笠を奉納する櫛田神社の宮司とも知己を得、そこから福岡県の教育長も紹介してもらった。たったひとつの地域間航路を守りたいという、人の輪が出来上がっていった。
「頼まれたことは大義がありゃあ引き受けちゃる、という福岡人の気風もあったし、なにせ人の熱量がありました。おこがましいかもしれませんが、人が正しいことを行っているときは不思議とものごとが連鎖していく、ピースが次々に揃っていく、そう思えてならないのです。本当に、会う人会う人、皆が素晴らしかった」(廣田氏)
そこにあった「人の熱」と「まっしぐらな勢い」。それはまるで博多山笠最終日の「追い山」の疾走を見るがごときだった。運動は新潟と福岡で多くの人を巻き込みながら、熱を帯びていった。
アナログな繋がりが路線を育てる
廣田氏らの熱意に、県庁もまた動かされた。当時、新潟県空港課の課長にあった長谷川誠氏も、廣田氏の熱に動かされた一人だった。「廣田社長からは熱い思いが伝わってきた」(長谷川氏)
その後、2008年4月から運行を休止(事実上の廃止)するという全日空側の発表を受けて、地元経済界と行政がタッグを組んで汐留本社に出向き直談判した。「長谷川さんらが後押ししてくれて、運動やそれを展開する組織がオーソライズされたものになって唐突感がなくなった。こうでないとなかなか相手には響きません。当時の泉田裕彦知事も一生懸命取り組んでくれました」
直談判の結果、全日空側は休止を半年間先延ばしにし、路線存続の条件として「2008年10月までに搭乗率70%超え」を挙げた。これに対し、廣田氏が中心となって新潟―福岡路線の宣伝隊が作られキャンペーンを展開していった。その結果、同年10月に新潟―福岡路線の搭乗率は74.5%ととなり、存続が決まった。同路線は今も搭乗率70%前後をキープして、確固たる地位を築いている。
あれから15年たった今も、廣田氏は福岡の人たちと頻繁な交流を続けている。福岡県の高校がグリーンピア津南にスキー合宿に来ることがあれば、車を飛ばして笹団子を届けたり、福岡の馴染みの居酒屋が閉店するとなるとわざわざ飲みに行ったりしているという。博多祇園山笠にも参加し、県外人では普通あり得ない「台上がり」の任にあずかっている。交流は大きく育った。
また、廣田氏はひょんなことから福岡県柳川市の観光大使にも就任している。柳川の観光大使に、新潟の、それも民間人が選ばれるなど異例中の異例だ。
「柳川の街のことは、学生時代に大好きだった大林亘彦監督の映画で印象に残っていました。2009年に大河ドラマ『天地人』の主演に柳川出身の妻夫木聡さんが決まったことを新聞で見て、NHKが持っていたドラマののぼり旗を、彼のおばあちゃんに届けたいと思い立ち、柳川を訪ねたのです」(同)これが観光大使就任のきっかけとなった。
だが、実はこの思い付きの行動もひとつの奇跡のトリガーになっていたのだ。のぼり旗を届けた一週間後に、当時路線存続の談判を続けていた全日空の社名で一通のメールが届いた。「この度は息子妻夫木聡のためにわざわざありがとうございました。母も大変喜んでおりました。廃止ストップ運動が花開かれることを陰ながらお祈りいたします。全日本航空・妻夫木〇〇」妻夫木聡さんの父親は、偶然にも全日空の幹部社員だった。
廣田氏は言う「地域間を結ぶ航路は、その後の存続も含めて『インフラ』なのではないかと思います。地域間はマーケットの理論だけで言えば立ち行かない。つながりを持ちたいという人の想いと熱がないと難しいと思います。
トキエアには私自身も本当に期待しています。県民が盛り上がっていけるよう『顔が見えるエアライン』となることが、鍵なんじゃないかなと思うのです」
「新潟―丘珠」の運行開始を8月10日に定めたトキエアだが、7月11日現在でまだ運賃やダイヤも発表されておらず、国の審査もまだ開始されていない。まずは就航をスタートすることだが、その後に路線を守っていくためには、廣田氏らが福岡便でつくった「当該地域間のアナログな熱量」が欲しいところだ。
(文・撮影 伊藤直樹)