【王の帰還】北信越国体柔道成年男子で新潟県が優勝、6年ぶり本国体代表の座へと導いた新潟柔道界レジェンドの復活
新潟柔道界のためにカムバック
8月20日、新潟県上越市の県立謙信公武道館で開催された第44回北信越国民体育大会柔道競技で、新潟県が優勝、10月7日から鹿児島県を舞台に開催される「燃ゆる感動かごしま国体」へ北信越代表として駒を進めた。柔道成年男子で新潟県が優勝したのは平成29年以来6年ぶり。
国体の柔道競技は1チーム5人の団体戦で行われ、北信越大会では新潟県、富山県、長野県、石川県、福井県の5チームが本国体への出場枠1を争う。
今回、大会開催県となった新潟の成年男子チームには、ひとつのトピックがあった。新潟柔道界のレジェンドと言われる西潟健太(36歳)が本国体限定でカムバックし、新潟チームに加わったのだ。
北蒲原郡安田町(現阿賀野市)の出身。6歳の時に安田町スポーツ少年団で柔道を始め、安田中学から神奈川県の桐蔭学園高校に進学。高校選手権団体優勝、インターハイ個人戦100キロ級で2位になるなど才能を開花させはじめ、卒業後に国士舘大学に進むと2年時に全日本学生柔道優勝大会で優勝、4年時に学生体重別で優勝し初の全国タイトルを獲得するなど躍進を続けた。大学卒業後、旭化成の所属になると全日本実業柔道個人選手権大会で2連覇、全日本選手権3位など数々の輝かしい成績を手にした。また2015年にはアジア選手権の日本代表にも選ばれ、個人戦3位、団体戦優勝の成績を収めた。
輝かしい実績を積み重ねて2016年を最後に競技生活を引退していたが、今大会でかつて国体メンバーとしてともに戦った今井敏博監督のたっての依頼で新潟県チームにカムバックした。
「新潟県が北信越で優勝するために、どうしても『重量級』がカギになっていた。近年の新潟の弱点となっている。そこで西潟選手にお願いして、地元柔道界のためにひと肌脱いでもらった」(今井監督)
新潟柔道界のレジェンドは、競技のブランクはあったもののさすがの高い技術は圧倒的だった。「新潟柔道のアイコンと言われる選手。練習を見たが、全日本のトップクラスと遜色ない内容だった」(熊倉匠新潟県柔道連盟強化委員会副委員長)
チームの士気も上がった。西潟のほかの4人は皆20代と若いチーム(西潟のほかはすべて新潟県警所属)だが、「西潟さんと鹿児島に行く」という想いを強め、一体感が生まれた。
まさかの試合展開に
8月20日、初戦となった長野県との対戦はスコア3-1と圧勝。西潟も抑え込みで一本勝ちし、格の違いを見せつける内容だった。
代表決定戦の富山県戦はまさに死闘。先鋒戦が両者決め手なく引き分け、次鋒で相手に抑え込まれ1本を奪われたが、中堅の丸山晃志が見事に1本勝ちしスコアをタイに戻す。ここで副将の西潟が登場。新潟県としては予定通りここでリードしておきたかったが、なんと西潟が試合中に足を負傷。立っているのがやっとの状態に陥り、痛い星を落とす。追い込まれた新潟県だったが大将戦で星野太駆が見事一本勝ちで再びタイに戻した。
スコアは2-2。引き分けだった先鋒戦をタイブレークを行い、終始攻めた齋藤昂矢が相手を圧倒し一本勝ち。北信越代表を決めた。
試合中に負傷した西潟は肉離れを発症した模様。10月のかごしま国体までに回復が望まれる。なんといっても西潟の復帰がチームの士気を揚げたことが大きい。
「お世話になった新潟の柔道界のために」の想いでブランクをはねのけカムバックした西潟の背中に、この新しい武道館の象徴である「義の人」上杉謙信公の姿が重なる。鹿児島での躍進を期待したい。