【アクロス・ジ・オーシャン】「インド料理 ニサン」オーナー スバカル・ニユーパニさん
新潟県内で現在、「インド料理 ニサン」を4店舗展開しているスバカル・ニユーパニさん(44歳)は、ネパールの出身である。2008年に来日した。ニユーパニさんが、異なる文化・習俗を持つ日本で、それも新潟県で飲食業を始めた事情と、今後の展望について話を聞いてみた。
来日のきっかけは祖国の政治情勢
祖国ネパールでは、大学卒業後、イベント会社を経営していた。イベント会社といっても、ネパールの場合、日本のような大げさなものではない。ネパール人は、親戚縁者が多い。日常的に行われる結婚式や葬式などの冠婚葬祭では、友人・親族を集めるだけでも、500人~600人、少ない人でも200~300人は集まるのだという。ニユーパニさんの会社は、そういった冠婚葬祭などに、参加者の席次や食べ物などを用意することが主な仕事だったという。
そんなニユーパニさんが、住み慣れた土地を離れ、日本での生活に活路を求めるきっかけとなったのが祖国の政治情勢だった。興した会社を兄弟に譲り、妻を祖国に残して単身日本へと渡ることに、多少の心細さがあったに違いない。それでも、異国の地での生活を選んだのは、より善く生きるため。数ある外国のなかで、日本を特に選んだのは、「平和で治安が良かったから」だという。家族と共に暮らすためには、平和で治安がいいことということは、絶対条件だった。
日本に渡ったニユーパニさんが、最初に滞在したのは大阪だった。前職の関係で、飲食店で働くことができるビザを得た。そして、まずは、他人が経営するインドレストランで修行をしたという。その間、日本語、日本人の料理の嗜好などを独学で学ぶ一方、開業資金をためるなど、ゆっくりと少しずつ、将来への準備をしていった。
来日3年後に念願の独立を果たしたニユーパニさん。妻を祖国から呼び寄せ、第一子も生まれた。店の名前は、長男の名前からとって、「ニサン」とした。努力の甲斐あって、大阪では2店舗目も開業することができた。
しかし、やはりなんといっても大都会・大阪である。
「どれだけうまい料理を出しても、どれだけ綺麗な店を出してもうまく売れない…」
考えあぐねたニユーパニさんは、日本でもインド料理店の数がそれほど多くない地域に進出することを決めた。進出先は、新潟県三条市。様々なご縁が重なっての決定だった。大阪で開業した2店舗は、他人に売却し、新潟県へと向かった。2015年のことである。
新潟で4店舗を展開
新潟県三条市で再出発を決めたスバカルさん。その後は、売り上げを順調に伸ばし、2016年には、新潟県長岡市にある古正寺に、2018年には同市にあるアクロスプラザに、それぞれ店舗を開業することができた。翌2019年には、新潟市西区エリアに、新店舗を開業し、現在は、合計4店舗の経営をしている。
「ニサン」のカレーは、安くてうまい。なんといっても、特大サイズのナンはお代わり1枚まで無料。濃厚でさっぱりとしたカレールーは、「普通」から「スーパーホット」まで4段階でスパイスの辛さを選択できる。そして、フレンドリーなスタッフの気持ち良い接客が、顧客の心をつかんで離さない。アットホームで寛げる店内の雰囲気である。
「日本に来て良かった。日本の人は、皆優しいし、助け合う。言葉が通じなくても、携帯のアプリを使ってでも会話しようとしてくれる。特に新潟の人は、人情味があり、暖かい」と、ニユーパニさんはいう。
お米はもちろんのこと、新潟の食べ物は何でもおいしい。ヒンディー教をバックグランドに持つスバカルさんは、日本の食に関して、宗教的な制約は全くないという。「お酒も美味しい」
そんなスバカルさんの目標は、目下のところ、現在開業している全店舗を上手に回せるようになることである。新潟に来たばかりの頃は、全て自分が管理していたため、あらゆることに、自分の目が行き届いていた。店舗数が増え、従業員が増えてきた現在、自分に見えていない部分も出始めてきているという。そういった場合でも、各店舗がうまく回るように、従業員たちにも勉強をさせていきたいというのが、スバカルさんの経営者としての考えである。
「頑張って、長いこと経験して、ちゃんとした料理を出しているので、一回食べに来てください」とニユーパニさんは、語った。
「ニサン」は、今日も地域の人々に、愛されるインド料理を提供し続けている。
(文・撮影 湯本泰隆)