【芥川賞作家が講演】「平和を訴えるのが文学者の使命」 ドナルド・キーン氏と交流のあった作家の平野啓一郎氏が開館10周年記念講演
公益財団法人吉田記念財団(新潟県柏崎市)はこのほど、同財団設立、ドナルド・キーン・センター開館10周年記念特別講演会として、ドナルド・キーン氏と交流のあった芥川賞作家の平野啓一郎氏(48歳)の講演会を新潟県柏崎市の柏崎市産業文化会館で開催した。当日は文学愛好家などが多数来場した。
平野氏は、京都大学在学中の1999年に文芸誌「新潮」に投稿で掲載された「日蝕」で第120回芥川賞を当時最年少の23歳で受賞。当時は京大生にして芥川賞、茶髪にピアスという外見もあってマスコミで話題になった。
そんな平野氏だが、当初から昭和の大作家、三島由紀夫のファンであることを公言し、マスコミからは三島由紀夫の再来とまで言われたこともあった。2019年に96歳で逝去したドナルド・キーン氏とは、53歳の歳の差があった平野氏だが、最初のキーン氏との対談のきっかけは、キーン氏の「無二の親友」だった三島由紀夫のファンだったからだという。
平野氏は「キーンさんは、翻訳などで三島由紀夫と深く親交していたが、当時三島由紀夫のファンだと公言する作家があまりいなかった。三島は右翼的な政治活動をしたり、亡くなり方が衝撃的だったりしたためだ。他にいなかったのが逆に私に興味を持ってもらった理由だと思っている」と話した。
2人は何度か対談したが、ある時、キーン氏が平野氏に「友達になってください」と言ってきたという。
「大人になって、なかなか言う言葉ではないし、衝撃を受けたが、嬉しかった。私はキーンさんが85歳のころ親しくなったが、その頃、キーンさんは文学研究に集中されていたので、気安くお宅にはお邪魔できなかった。もっと私が図々しければもっとお会いできたかもしれないが、逆にその距離感が良かったのかもしれない。私が85歳になった時に、30歳の後輩作家と交流できることを楽しみにしている」と話した。
最後に平野氏は、「キーン氏は反戦活動家だった。キーンさんの平和思想も影響を受けた。文学や音楽などの芸術は平和でないと成り立たない。文学は生きづらさや苦しさから生まれてくるが、平和を訴えるのが文学者の使命だと思っており、そのためには政治的な発言もしていく」と語った。講演後、平野氏は県内の市外や首都圏からの来場者の質問に答えていた。
キーン氏は、1922年アメリカ・ニューヨーク生まれの日本文学研究者、文芸評論家、コロンビア大学名誉教授。2002年に文化功労者、2008年に文化勲章を受章。2012年3月に帰化申請が受理され、日本人となった。日本国籍取得後の正式名はキーン・ドナルド。2019年2月逝去、享年96歳。
主な著書として、「日本文学の歴史」全18巻や「明治天皇」などが多数ある。
なお、平野氏は今年4月に執筆23年の大作である「三島由紀夫論」(新潮社)を上梓した。
(文・撮影 梅川康輝)
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