【ビズテイル#3】―リーダーの光と影―「女性経営者が5年連続全国最下位の街・新潟で」 トアイリンクス(新潟市中央区)の佐藤ユウキ代表取締役<再掲載>
新潟のビジネスの舞台裏、そこには熱きリーダーたちの「光」と「影」が交錯する。本シリーズ「ビズテイル ―リーダーの光と影―」では、彼らの真実の声を紐解きながら、経営の現場での戦いの記録を追います。
今回の主役は、株式会社トアイリンクス(新潟市中央区)の佐藤ユウキ代表取締役。彼女のリーダーとしての旅を、共に辿りましょう。
【プロフィール】
佐藤ユウキ(さとうゆうき) 新潟市の出身。県外の大学を卒業後、上京しリクルートグループの広告制作会社である株式会社リクルートメディアコミュニケーションズに入社。チームのマネジメント、工程管理、システムの要件提議などに勤しんだ。約5年勤務した後、故郷の新潟にUターン。直後に出産を経て、1年後にビジネス復帰するも就職した会社が倒産。自ら事業を引継いで起業家となる。現在は婚活事業、レンタルオフィス事業を中心に多岐にわたるクリエイティブなビジネスを展開。ワークライフバランスのコンサルティング、講演やワークショップを通じて、ライフデザインの創造提案を続けている。
トアイリンクスという会社は、従来型の働き方しか知らない一般の人にとっては稀有に見えるかもしれない。現在社員従業員はパートアルバイトを含め19人(ピーク時は40人近くが在籍した)。ある者は得意分野を活かして、ある者は自己実現を目指して、自由闊達に就労している。
就業時間も各々の都合に合わせている。午後から出勤する短時間勤務だったりフルリモートの在宅だったり子連れ出社やペットを連れての出社だったりと、自己申告が尊重されて就業条件を選べる。それは男性も女性も、正社員もアルバイトも。
そこには仕事=人生ではなく、人の一生をマッピングした時に、あくまで仕事はその1パートであるという思想が垣間見える。
「本当は年俸制を採り入れたいと思っています。自分の人生がどのステージにあるかによって、必要なお金や適した働き方は違いますよね。20代ならバリバリ働いて稼ぎたい、30代になって家庭を持ったら仕事ばかりもしていられない、子供が大学に行くとなったらお金が必要だから経験を活かして高いポジションで働きたい、というように」
佐藤氏の提唱するライフデザインは、いちいち合理的だと思えるが、実際は日本、特に新潟のような地方都市では「新しい時代の働き方」として見られるだけで、一部でも実践できているような企業はほとんど見られない。
それでも日本中がコロナ禍という国難を経たことによって、若い世代を中心としてライフデザインに対する考え方はずいぶん変わってきた。佐藤氏の次の一手が大いに注目される。
Uターンして感じた、東京と新潟の大きな違い
― リクルートでチームリーダーをされていて、若くしてバリバリ働かれていた時に、Uターンされたのはなぜですか?
実家の母が体調を崩して、一人っ子だったので、誰も面倒看る人がいなかったのと自分の結婚や出産も重なったタイミングで新潟に帰ってきました。
― Ūターンして割とすぐに出産されましたね
Uターンしてすぐはしばらく母の看病の毎日で、母の大きな2回目の手術日は、私の出産退院日の翌日でした。
子どももNICUに入院しており、退院翌日から朝5時に起きて実父のお弁当つくって、家事をして、子どもの病院で搾乳した後、母の病院に行ってお世話して、お昼と夕方にまた子どもの病院で搾乳して、夕方に帰ってきて、家族のご飯を作って・・・みたいなことをしていました(笑)。
産褥期なにそれ?みたいな感じでした。それが30歳くらいの時です。
― お子さんが1歳になった時に、仕事に復帰されるわけですが、就活はうまく行きましたか?
いえ、就職難民になりました。新潟で女性に求められているような職域は事務とか経理のような仕事が多く、逆に私の職務経験は20人程度のチームのマネジメント業務や、生産工程の管理業務、運用フローの作成、システムの要件定義などでした。
加えて、母の病気や未満児を抱える母親業もあるため、職域のミスマスッチと私のプライベートの環境が悪く、なかなか採用にいたりませんでした。面接などでは、『若い女性にそういうスキルは求めていない』と言われました。
それらの仕事は、新潟のような地方では年配の男性管理職がやるものと認識されていたのです。
― 新潟のような地方では、女性の活躍の場が狭いのですね
女性が生活自立するには大変な土地柄だと思いました。東京では当たり前だと思っていたことがこっちでは通用しなかったり、逆に新潟で当たり前のことが東京ではすっかりなくなっていたり。
新潟に帰ってきてまず驚いたのは、制服を着せられた女子社員がお茶出しや電話番をしているのを目にした時です。前職ではもちろんそんなことはなかったですし、周りの友人も同じくらいの年齢でバリバリと活躍している人が多く、カルチャーショックを受けました。
就職した会社が倒産、「ダチョウ倶楽部的」起業へ
― 就職された会社ではどんな仕事を?
様々な事業をしている会社でしたが、私は新規事業部に入りました。ところがその新規事業も立ち上がる前の立案、計画策定くらいの時に会社が倒産して社長が行方不明になってしまったのです。
入って4カ月目でした。私たちもまったく知らされていませんでした。倒産したことは、取引先から来たファクスで知りました。そこに書いてあった弁護士に電話したら『社長が自己破産して会社は整理される』と。
― いきなりものすごい苦境ですね。そこから起業するまでは?
とりあえず残された業務があったので誰かが引き継がなければならなかったのですが、社員の誰もやりたがらずに、誰がやるんだ?という押し付け合いになり、誰もマネジメントをできる人がいなかったので結局は私に『どうぞ、どうぞ、どうぞ』と。ダチョウ倶楽部のギャグみたいに社長を引き受けさせられたのです。
その会社が婚活パーティーなどをやっていたので、まずはここを引き継ごうと思いました。最初にしなければならなかった仕事は、前の社長が残した負債の債権者を訪ねて謝ること。次に、未払賃金の清算。私も入って2カ月しか給料をもらっていないのに、みんなに支払う側になっていました。
結局は社員も皆辞めてしまって、自宅の六畳一間から一人でスタートすることに。開業資金はわずかな貯金から20万円、パソコンとカメラを各一台買って終わり。
起業したての頃
― なぜ婚活事業を継続しようと?
2010年前後の話ですが、その頃はまだ婚活ビジネスというのはブラックで怪しげな業界だったのです。「ダイヤルQ2」や「出会い系」と大差ないようなイメージで見られていました。
ただ私自身は、少子化や孤独死などの社会課題を解決する良い仕事だと思っていました。どうせやるなら、クリーンな婚活事業で、社会的なポジションを少しでも上げてやろうじゃないかと。
― 滑り出しはいかがでしたか?
需要そのものはあったので、スタートから好調でした。すぐに忙しくなって、それこそ子供をおんぶしながら24時間働いていましたね。
その頃の婚活業界は、登録者の相談は夜の12時まで受けていたのが普通でしたが、さすがに子育てもあったので夕方6時までにしたらクレームが相次ぎました。
そこで「夜間の相談はメールでお願いします」としたのですが、それでもクレームはやみませんでした。
『ふざけるな』『上司を出せ』と。『私が社長です』と言うと、『女が社長だからダメなんだ』と男性だけでなく、同じ女性に言われたりすることもしばしば。
― 起業した後も女性ならではのご苦労はあるのですね
利用者さんだけじゃなく、取引をお願いした会社からも『女の社長は信用できない』と言われたことも。不動産を借りに行くと『女性には貸せない』と言われたり。別に偏った思想の会社でもない、普通の不動産屋さんですよ。いたずら電話や無言電話の類もありました。
結局、会社を起こすと登記簿謄本に自宅の住所が載りますから、不特定多数の人が閲覧可能なので怖いですよね。男性や若い人などは『新潟は起業しやすい』なんて言いますけど、それはそういう躓きがないからだと思います。
新潟は女性が起業したり自立したりするには、見えない格差ではなく、見える格差として壁が存在しているのは事実だと思います。
― 性差別に関しては、今ではかなり社会の意識も変わってきた印象ですが、佐藤さんから聞く話はどれもそんなに昔の話ではありません。新潟と東京の隔絶感は確かにありますね
たしかに東京で働いていた時には取引先に『女だから』と言われたことなんて一度もありませんでした。これを言われたら身もふたもない話。
女性の立場で声をあげても『それはあなたの能力がないから』と言われてしまえばそれまで。能力がなくて断られるなら納得できますが、断る理由に『女だから』は付けないで欲しいな、と思いました。
レンタルオフィスも新たな局面に
―その後、レンタルオフィス事業もスタートされましたね
私が借りようと思ったときにも苦労したこともあって、女性の起業独立支援をしたい思いもありましたね。女というだけで貸してくれなかったりしますから。
レンタルオフィスやシェアオフィスも、東京なら当たり前のように当時からたくさんありましたが、当時の新潟には少なかったようで。ただスタートすると店子の9割は男性になりましたね。東京の企業が新潟営業所として使うとか。
シェアオフィス、レンタルオフィスの事業は基本的には社会貢献と思っていないとやれない。損益分岐に載らないほど薄利なので。
― インキュベーション施設なども含め、新潟にも起業家が利用できるレンタルオフィスは増えましたね
自由に利用できる場所があるから『起業したいな』とか『週末だけでも事業できないかな』という意識も生まれる。簡単に借りられれば意識は醸成されます。
条件等はユーザーの都合に合わせて取捨選択できれば。その意味では競合があった方が良いと考えます。
― レンタルオフィス業は新たな局面もありそう?
現在、見附市で進めているのは、古民家をリノベーションして『無人のレンタルフォトスタジオ』の展開です。これは婚活事業の延長線上という側面もありますが、一方でECサイトのアイテム写真など、企業のニーズにも応えられると思います。
中小零細企業はなかなかカメラマンの費用が捻出できなかったりしますが、気軽に使えるスタジオがあれば、今は素人がiPhoneでも十分きれいな写真が撮れるので。
― 自社サービスのほかに、広告物のディレクションやシステム開発、DX支援などの請け負い業務もこなしています。実に多岐にわたっていますがスタッフも柔軟に対応されていますね
コロナ禍で婚活事業は8割減になりましたから、いろいろなことをやっていかなきゃならない。経営的には『死なない』をテーマに。急成長しないように、地味に。この地でやっていく処世術のようなものです。
ランチェスターの考え方とは相反する『三川屋のサブちゃん』的な業務(御用聞き)が増えましたね。その中で人間らしい働き方をしていくのが大切。会社内でも5年のうちに19人の子供が生まれているし、14人が独立開業しています。
会社を辞めた人もその後のビジネスで取引をしたりとお互いに切磋琢磨しています。
(聞き手 伊藤 直樹)
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