【マンガ論】意外と奥深いマンガの歴史 まちなかキャンパスで大盛況
日本で描かれてきた「マンガ」は、どのように移り変わっていったのだろう。そんなマンガの歴史を辿る講座が11月15日、新潟県長岡市のまちなかキャンパスで行われ、社会人からなる12人の受講者が、熱心に話を聞いていた。
実際のマンガ本を手に、わかりやすくマンガの歴史や比較文化を論じていたのは、新潟県立大学の石川伊織名誉教授(67歳)である。石川教授によれば、一定のストーリー性があり、「コマ割り」に工夫がなされるなど、静止した絵によって人物の動きやそれなりの思考・思想が描かれていることなどが、「マンガ」の条件であるという。
石川教授によれば、もともと諸外国では、絵物語というのは文字の読めない人や子どものためのもので、芸術としての評価が低かった。一方で、日本では「書画」という言葉があるように、画は必ず「賛」と呼ばれる文章を伴っていた。明治以降、日本でも絵物語の評価が下がったが、それをひっくり返したのが手塚治虫の登場だったという。手塚治虫によって、マンガの特徴が開花して、小説にも劣らない内容と展開を持つ作品が多く生まれるようになった。
最近では、日本のマンガが、外国語に翻訳されるケースが増えてきた。日本語の本は、右綴じを想定して描かれるが、外国語の本は左綴じが基本である。文字列は横書きにしても、本自体を左綴じにはできない。また、コマ割りが複雑化したため、巻頭に日本語版にはない「コマの順番」について説明するページが挿入されるなどの工夫がなされている。
石川教授は、タブレットやスマートフォンでマンガを読むようになってきた昨今、コマ割りの在り方にも変化が見えてきた。デジタルと紙のマンガだと、どのようにコマ割りが変わっていくのか、マンガも現在過渡期を迎えているという。
普段からマンガやアニメが好きだという長岡大学の山川智子教授(50代)は、偶然今回の講座を知り、石川教授の話を聞きに来たという。最近は、アニメ化やドラマ化がなされているものも増えてきているが、「本来はマンガそれ自体がパワフルな媒体」だとし、「中身が濃かった。連続講座にするべきだったのでは?」と感想を述べた。
新潟県中越地域は、「るろうに剣心」の和月伸宏、「DEAR BOYS」の八神ひろき、「頭文字D」のしげの秀一など多くの漫画家を輩出している。漫画家との結びつきも深い地域に、相応しい講座となった。
(記事・撮影 湯本泰隆)