【ビズテイル#6】―リーダーの光と影― 新しい大学をつくるために全国を飛び回った男、開志専門職大学(新潟市中央区)権瓶拓也事務局長(前編)

新潟のビジネス界を牽引するリーダーたちの困難の経験に迫る「ビズテイル」。第6回は、2024年に初めての卒業生を送り出す開志専門職大学(新潟市中央区)の、権瓶拓也事務局長。

人口減で大学の入学者数が減少する現代、新たな大学の設置には文部科学省の厳しい審査をクリアする必要がある。教員確保のため全国を飛び回る生活、タイトなスケジュールの中での申請業務、そして開学直後を襲った感染症禍──大学立ち上げ時の中心を担った権瓶事務局長は「設立メンバーの誰が欠けても乗り越えることはできなかった」と振り返る。

権瓶拓也。学校法人新潟総合学院常務理事、開志専門職大学事務局長。1981年、新潟県五泉市の出身。2005年にNSGグループへ入社後、新潟公務員法律専門学校に配属。教員として9年間教鞭をとった後、2014年に同校の事務局長へ就任。2017年に開志専門職大学の大学設置準備室へ配属され、同大学の立ち上げに関わる。

 

目次

○「教育は人を変えることができる」──教師を目指した学生時代

○実践的な大学の新設へ、30歳代での抜擢

○教員のスカウトで全国へ

○専門職大学、前例のない大学をつくる難しさ

○感染症禍の中での開学

○開志専門職大学のこれまでと、これから

 

「教育は人を変えることができる」──教師を目指した学生時代

──まずは、大学設置準備室へ配属される以前のことについて聞かせてください。高校をご卒業されてからは、新潟公務員法律専門学校へ入学されたと伺いました。

元々は教員を目指していましたが、「人のために働きたい」という思いで新潟公務員法律専門学校へ入学しました。そこで出会った先生方の熱量が高くて、やっぱり自分も教職になりたいと再び思うようになりました。

教職に就くための進路を考えていた時に、当時の担任から「NSGグループを受けてみないか」と提案されました。私は電話でその話を聞いて「行きます」と即答。すぐに書類を準備したことを覚えています。

 

──そこから、母校で教鞭をとられたのですね。

教育を通じて学生たちが変わって、成長して、その地域と社会のために働くようになる。当時から、「教育機関は人を変えることができる」ということを強く思っていました。

入社してからは、教員として9年間教壇に立ちました。その後、学校運営に関わる事務方の仕事もしていきたいと考え、3年間事務局長を務めました。

 

実践的な大学の新設へ、30歳代での抜擢

権瓶事務局長

──大学設置準備室への抜擢までの経緯を教えてください。

30歳になる年から、仕事の傍ら事業創造大学院大学に通い、MBAプログラムを学んでいました。その時の事業計画書のテーマが「実践的な新しい大学をつくる」こと。専門学校は2年で短期的に実践力をつけることはできます。しかし、より長期となる4年間学び、かつ即戦力としてほかの新入社員よりも飛び抜けた力を持って活躍できるような人材を育てることも重要だと考えていたのです。

「そうした大学をつくりたい」と当時周りにも言っていたので、専門職大学の設置基準ができた2017年(当時35歳)、大学設置準備室への異動を命じられたのだと思います。また、教務と事務の両方の経験があったという点は、後々とても生かされました。

 

──元々、ご自身もそうした大学を構想していたのですね。拝命を受けた当時は、どのように感じましたか?

自分がやりたかったことなので、非常に嬉しかったです。また、色々な人から、大学をつくるための膨大な準備について聞いていたので覚悟もしていました。覚悟はしていたつもりなのですが……それ以上に膨大で、困難な課題がありましたね。

 

教員のスカウトで全国へ

──大学準備で、最も困難だったことについて教えてください。

一番は、各学部の先生を集めることでした。当時、「専門職大学」という大学は存在しないので、制度内容と本学の理念を一人ひとりお会いして説明していきました。北は青森県、南は大分県まで。1日で新潟から伊丹へ行って、大分を経由して羽田へ向かわなければいけない日もありました。

また、最初から直接教員予定の方にお会いできる場合だけでなく、まず紹介者の方と会って、その方の信頼を得て初めて紹介いただけるようなケースもあります。もちろん、繰り返しお会いした方もいました。当時、教員のスカウトだけでなく、学長・学部長とのカリキュラムについての打ち合わせ、文科省との相談など、年間100回は出張しました。

当時はコロナ禍前で、オンライン打ち合わせが普及していませんでした。しかしむしろ、この熱量を伝えるために直接会うことができたのは良かったと思います。

 

──相当なプレッシャーもあったと思います。

先生方には、新潟へ来て指導することのご決断をいただくので、(私も)覚悟を持ちながらやっていました。また、上司から「初めて会う君が大学の顔になる。その自覚を持って会ってきてほしい」と言われ、気合も入りました。

先生方のスカウトについては、どの大学でも一番苦労する点だと思います。専門職大学では、実務家教員が教員の4割以上という要件があります。そういった方々は、スカウト当時は現職を持っている状況で、本学へ来ることを決意します。しかし開学する前で、私は申請対応をしながら頭に先生方や、大学説明会に参加いただいた方々の顔がいつもよぎっていました。必ずやり遂げなければならない、というプレッシャーがありました。

開志専門職大学 紫竹山キャンパス 4階大教室(写真提供:開志専門職大学)

 

続きはこちら→ 後編「専門職大学、前例のない大学をつくる難しさ」

 

【関連リンク】
開志専門職大学 webサイト

 

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