【新企画】「シリーズ上越偉人列伝」第1回 日本郵政の父・前島密(上)
2024年新企画の新潟県上越市近現代の偉人を連載で紹介するコーナー、「シリーズ上越偉人列伝」の第1回は前島密(ひそか)。
本当は一大実業家だった前島密
前島密は江戸時代だった1835年(天保6年)の生まれ。日本の近代郵便制度を創立したほか、鉄道会社の設立や早稲田大学の前身である東京専門学校校長を務めるなど数多くの功績を残した。一般的にはあまり知られていないが、現在の日本通運株式会社や現在の株式会社報知新聞社の設立にも関与した一大実業家であった。
上越市内の生家のあった場所には、現在前島の功績を紹介する前島記念館が建てられている。上越地域・旧能生町(現糸魚川市)出身の元郵便局員で、前島記念館館長の利根川文男さんに前島の活躍の秘密などについて聞いた。
江戸幕末から大正までを生きた前島は弱冠12歳で医師を目指し、江戸に出る。学校らしい学校は出ておらず、ほとんど独学だった。だが、幕末にペルーの黒船を見て日本との差に驚き、前島は医師を目指すことをやめ、国のために働くことを決意したという。
江戸時代の儒学者、倉石典太が東本町に住んでおり、倉石は江戸で学んだ後、現在の上越市高田地区に帰省し、私塾・文武済美堂を開いた。前島もこの私塾で学んだとされている。
大きい母親の存在
そんな前島だが、新潟県の田舎の農家の次男で、なぜ江戸で通用したのかという疑問が成り立つ。それに関して、利根川館長は母親の存在が大きかったのではないかと推測する。
「前島の父親は早く亡くなった。母親は(現在の新潟県上越市の)高田城主の榊原家に仕えた人で、今で言うと主任クラスだった。前島はそういう母親の40歳の時の子供であり、分別のある母親の教育を受けたことになる。前島は80歳の時に10歳の頃の自分について書いているくらい、母親が大きな存在だったのだろう。高齢出産でも立派な人が生まれる」と話す。
(文・撮影 梅川康輝)
(下へ続く)