【新企画】「シリーズ上越偉人列伝」第1回 日本郵政の父・前島密(下)

前島記念館(新潟県上越市)

 

利根川文男館長「前島さんは社会のため、国民のため、恵まれない人のために働いた」

外国語が堪能だった前島密(ひそか)は、日本人が漢字やひらがななど複数の文字を学ばなければならないことを無駄と考え、かなだけを学べばよいという意見書を将軍に提出している。また、明治政府が成立した直後には、新政府が大阪への遷都を考えていることを知り、東京への遷都を強く訴えているこれらのことから、前島が慣習にとらわれない合理的な考え方を持った人だったことが分かる。

江戸時代最後の時代、慶応2年に武士の前島家の養子となり、農民から武士へ階級を上げた前島について、利根川館長は「前島さんは子供の頃に論語を読んで理解できたという逸話があるくらい頭が良かったし、集中力があったと思う。江戸で人から話を聞いて吸収して、面白いことを言った。こいつは面白い奴だと認められなければ、明治政府に注目はされなかっただろう」とも言う。

利根川館長は「上越市内の小中学生が学校の授業で前島記念館に見学に来るが、子供たちに知ってもらいたいのは前島さんの生き方だ。前島さんは社会のため、国民のため、恵まれない人のために働いた。金のためには動かなかった。もしそうしていたら、大きな財閥になっていただろう」と話す。

また、現在のメール全盛期の時代で手紙やハガキを書く機会が減っている状況に対し、利根川館長は「今もし前島さんが生きていたら『古いものの良さもあるが、それにしがみついて時代遅れにならないようにしなければいけない』と言うのではないかと思う。私も新しい通信手段に変わるのは当然のことだと思う」と話していた。

 

滝沢一成上越市議会議員「我々郷土にもこのようなフロンティアがいた」

一方、「郷土の偉人前島密翁を顕彰する会」会長の滝沢一成(いっせい)上越市議会議員は、「前島密がいわゆる郵便の父としてだけではなく、明治期の日本の近代化に想像以上の貢献をしてきたことが、少しずつ知られてきている。いずれ、前島密を主役としたNHK大河ドラマを、という声も次第に高まっている。個人的にはハードルが高いと思いますが、それだけの大人物であったことは、もっと広く知られても良いのではないでしょうか。とかく進取の気性が乏しいと言われる我々郷土にもこのようなフロンティアがいたという事を特に子供たちに伝えたいと考えています」と話す。

なお、2021年のNHK大河ドラマは実業家の渋沢栄一を主人公にした「青天を衝け」だったが、渋沢と親交があった前島が大河ドラマに登場した場面もあった。

1902年(明治35年)には男爵の位を授与され、晩年は貴族院議員としても活躍した。日本の近代化に貢献をした前島は、1919年(大正8年)、 神奈川県の別荘で死去した。

東京駅構内の丸ポスト(東京都)

 

(文・撮影 梅川康輝)

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