【歴史探訪】「シリーズ上越偉人列伝」第2回 日本児童文学の父・小川未明(再掲載)
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初回掲載:2024年2月1日
日本のアンデルセン
2024年新企画の新潟県上越市近現代の偉人を連載で紹介するコーナー、「シリーズ上越偉人列伝」の第2回は小川未明(みめい)。
新潟県上越市出身の児童文学作家、小川未明は50年以上にわたる文学活動の中で、童話約1,200編、小説約650編を執筆し、日本のアンデルセンとも称される。
小川未明は明治15年4月7日に上越市高田に生まれた。未明は高田中学(現高田高校)に入学する。同級生には、早稲田大学校歌「都の西北」を作詞した新潟県糸魚川市出身の詩人、相馬御風がいた。小川未明は18歳で上京し、早稲田大学の英文科に学ぶ。そこで、恩師となる文学部教授だった作家の坪内逍遥に出会う。
明治39年、未明は島村抱月の勧めにより「少年文庫」(早稲田文学社)の編集に携わり、これを契機に童話創作にも力を注ぎ、明治43年には童話集「赤い船」(京文堂)を出版。大正期に入ると「赤い蝋燭と人魚」、「月夜と眼鏡」など現在も読み継がれる傑作の数々を生み出した。大正15年、未明は「今後を童話作家に」(「東京日日新聞」)を発表し、小説の筆を断ち、童話一本で活動していく決意を示した。
ロシアのアナキズム指導者からの影響
小川未明研究会代表の小埜裕二上越教育大学教授は以前の講演会で、「未明は、ロシアのアナキズム指導者クロポトキンから多大な影響を受け、相互扶助の社会の実現、愛と正義と自由に満ちた社会の実現を願った。それは、故郷高田を自然豊かで義の心を持った町に戻したいという思いに繋がっていた」と話した。
未明の社会主義への傾倒は有名な話である。
小埜教授は「未明が大正15年に童話作家宣言をした背景には、厳しさを増した社会主義思想への弾圧の中で、社会運動から離れ、童話世界に逃げ込んだのではないかと推測されることがある。しかし、未明は、社会変革はクロポトキンの言う相互扶助の精神の導入という人間形成の面からこそ実現しうると考えた。人の生死・幸不幸は宿命ではないという自覚、弱きものの文学をなす覚悟が未明の思想の核心にある。社会を変えるのは人間であり、相互扶助の心を持った人間を育てることが明るい未来を気づくことだと未明は信じた」と語った。
戦後は児童文学の発展に力を注いだ長年の功績が認められ、昭和26年芸術院賞を受賞、昭和28年には文化功労者に選ばれた。上越市の春日山神社には、昭和31年、「雲の如く」の詩碑が建てられ、除幕式には未明本人も出席した。その5年後の昭和36年5月、東京・高円寺の自宅にて79歳で死去した。
なお、上越市幸町には、生誕の地の石碑もあるほか、上越市の市立高田図書館内には小川未明文学館が設置されており、文学館には小川未明の著作集のほか、一角には後年住居を構えていた東京都高円寺自宅の居間(書斎)が再現されている。
小川未明文学賞を全国公募
上越市は没後30周年を記念して、小川未明文学賞委員会ともに平成3年から小川未明文学賞を全国公募している。長編部門と、短編部門があり、大賞受賞者には賞金100万円と記念品の「小川未明童話全集」(大空社)が授与される。また、大賞作品は学研プラスより書籍化される。
(文・撮影 梅川康輝)
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