【ビズテイル#7】―リーダーの光と影― 心臓を取り出す大手術で「1回死にました」、北信越ラボ(新潟県上越市)平原匡代表取締役(前編)

新潟のビジネスの舞台裏、そこには熱きリーダーたちの「光」と「影」が交錯する。本シリーズ「ビズテイル ―リーダーの光と影―」では、彼らの真実の声を紐解きながら、経営の現場での戦いの記録を追います。

今回の主役は、株式会社北信越ラボ(新潟県上越市)の平原匡(ただし)代表取締役。彼のリーダーとしての旅を、共に辿りましょう。

北信越ラボの平原匡代表取締役

 

【プロフィール】

平原匡(ひらはら ただし) 1977年上越市生まれ、2003年芝浦工業大学大学院修了、2003年春佐渡に渡りNPOを設立し地域開発に携わる。2012年8月郷里の上越市に戻る、2013年8月北信越地域資源研究所(北信越ラボ)を設立、北信越エリアの地域資源を掘り起こし、その価値を伝える発信役、地域経済の発展につなげるためのコーディネート役として活動開始。2015年に北陸新幹線が開業、それに遅れること1年後の2016年6月上越妙高駅前「フルサット」を開業。2017年11月に大動脈解離を患うも2018年から復帰して今に至る。

 

「地元に新幹線の駅ができると聞き、何か新しいことをやりたい」と妻子がありながら、ある意味不安定な起業にチャレンジし、成長するコンテナ型タウンという今までにない斬新なスタイルを導入。しかしながら、創業当時は一人で駆けずり回り、「働きすぎ」でついにダウン。大動脈解離、父親と似た病気だった。手術時間は15時間。心臓を取り出し、人工血管と再接続するという想像を絶する大手術を経験して生還した平原匡代表取締役。

コロナ禍を切り抜けた今、フルサットも平原代表も第2ステージに入っている。新潟県の民間スタートアップ拠点に選ばれるなど、上越・妙高地域で単なるいちデベロッパーを超えた存在感を示しているフルサットの平原代表に次の見据える先を聞いた。

 

佐渡からのJターン

「私は東京から上越市に直接Uターンしないで、佐渡市を経由して帰ってきたJターンの人間です。そうすると、地元で仕事していた経歴があるわけではないので、佐渡から帰ってきて自分の能力できることと思って、ふるさとの活性化のためのお手伝いをしたいと思い、コンサルタントとして活動を始め、2013年に北信越地域資源研究所(現北信越ラボ)を立ち上げました。この段階ではフルサットの構想はなく、今で言う地方創生の一端を担いたいと思っての創業でした。代表私一人だけの会社でした」

 

フルサット創業

「父はすでに亡くなっていましたが、父の設立した建築事務所があり、そこに入る道もあったのですが、既存の建築業とこれからのビジョンに違いも感じ、何か新しいことに早く取り組まねば、動き出さなければと思い起業しました。当時ベンチャーや起業がキーワードとして世の中に出てきていて、20代など若い世代が生き生きしていましたが、自分は20代を佐渡市での時間を過ごしていた。佐渡で過ごした時間は尊いもので、島での経験は人生の中で基盤になる糧だと今でも思っていますが、何か次のチャレンジをするなら40歳になる前と思い、30代のうちに事業を始めないといけないという前のめりな焦りも感じていました。

将来的に人が集まる場所で仕事をしたいと、起業した拠点を駅前に持ってきたいと思いました。どうせなら人が集まって、交流があって、情報発信できる基地みたいなものが欲しいと思い、フルサットの構想が出てきました。2014年の秋くらいに動き始めました。2015年3月に北陸新幹線が開業したのですが、駅は出来たものの、ここには何もなく目の前には更地しかなかった。第1号のコンテナが来たのが2015年の夏です。上越の人は新幹線が来た後に『そんなに人が来るのか。商売になるのか』と懐疑的な声をもらいました。テナント集めにも周りましたが、『よしやろう』という人はなかなかいなかったです」

 

そして、病気で倒れる

「2016年6月にフルサットがオープンし、2017年6月には第2期テナントが揃いました。そして、その年の11月のはじめに私が倒れました。急に胸に激痛を感じ、しばらくして気を失いました。開業から1年半でした。当時テナントになってくれそうな人には必ず会いに行っていたので、出張はバンバンやっていましたから、それで蓄積がじわじわ来たのでしょう。フルサットを何とかオープンさせなければいけないという焦りがストレスとして返ってきたのでしょうね。

直前まである講習会が上越市であって、2日間缶詰で座りっぱなしだった。11月2日の終わった後に、フルサットに戻って用を足してから家に帰った。2階で寝たところで、胸が尋常じゃないくらいに痛くなって、隣で寝ていた妻が救急車を呼びました。最後は寝ていた2階から這って玄関までいって、力尽きて、タンカに載せられて救急車に乗ったくらいまでは覚えていますが、気づいたら、オペの部屋で目が覚めて、その後は記憶がないです」

「病名は大動脈解離。血管は3層構造になっていて、そこの皮に裂け目が出来て血液が浸透すると裂けてくる。その裂けた状態が大動脈解離です。一般的には、苦しくなって助けが呼べなくて亡くなってしまう人もいます。漫画家や俳優、声優で亡くなった人もいます。私も家族と一緒にいない時であればダメだったでしょう。でも、運よく助かりました。今、生きているのが不思議だと言われるくらい症状が重かった。まさに九死に一生を得たんです。私は大動脈解離サバイバーと言っています(笑)。

手術は15時間くらいかかり、心臓を取り出し、神経だけは繋がっていた感じです。血管が破裂しているので、管の詰め替えをするために開かないといけなかった。そして大動脈解離だけでなく、脳梗塞や多臓器不全にもなって腎機能障害を併発しましたし、血液の循環の悪化による壊死状態で足の指の第1関節は全部切っています。その結果、一命をとりとめた私は11月3日に手術で入院して、実際に目が覚めたのが12月の最初だから、ICUで1か月くらい寝ていたことになります。一般病棟に移ったのはその年のクリスマス前くらいでした」

入院当時の写真

続きはこちら→ 【後編】「フルサットは新しいことができる場所でありたい」

(文・梅川康輝)

 

【これまでのビズテイル】
#4 故郷で見た貧困と日本人技術者への憧れ、三条市立大学(新潟県三条市)アハメド シャハリアル学長(2023年11月21日)

#5 「もうお終いかも・・・」県外依存が仇となりコロナで窮地に、とき司法書士法人(新潟市東区)の川嵜一夫(かわさきかずお)代表 (2023年11月25日)

#6 【ビズテイル#6】―リーダーの光と影― 新しい大学をつくるために全国を飛び回った男、開志専門職大学(新潟市中央区)権瓶拓也事務局長 (2023年12月29日)

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