【通年連載企画】「シリーズ上越偉人列伝」第4回 泡盛を復活させた男、「酒博士」坂口謹一郎<再掲載>
直近の特集記事を日曜日に再掲載します(編集部)
初回掲載:2024年4月3日
2024年新企画の新潟県上越市近現代の偉人を連載で紹介するコーナー、「シリーズ上越偉人列伝」の第4回は、コウジ菌と発酵について研究し、特に地元の新潟県上越市では「酒博士」として知られる坂口謹一郎。坂口は出身である東京大学の名誉教授にまでなった人物である。
この連載企画第3回の「日本ワインぶどうの父・川上善兵衛」の回でも少し触れたが、坂口と川上善兵衛は親戚関係であり、坂口が善兵衛に寿屋(現サントリーホールディングス株式会社)創業者の鳥井信治郎を紹介し、善兵衛のワイン研究を手伝ったことは地元では有名なエピソードである。サントリーと岩の原葡萄園の関係でいうと、今でも東京のサントリー本社から定期的に岩の原葡萄園に社長が派遣されているほどだ。
新潟県上越市と沖縄県との浅からぬ因縁
また、変わり種の話では、沖縄の泡盛を復活させたのも坂口だったというのはあまり知られていない。沖縄で米(主にタイ米)から作られる酒の泡盛だが、坂口はこの泡盛のコウジ菌に注目し、沖縄各地からコウジ菌を東大の研究室に集めた。先の太平洋戦争で陸上戦の戦場となった沖縄では、酒蔵の柱などに付着していたコウジ菌の多くが焼失・倒壊などで失われたため、壊滅状態になった沖縄の泡盛は坂口が集めたコウジ菌によって復活したという話である。東大に集められた泡盛のコウジ菌がなければ、沖縄の特産品の泡盛は今現在存在しないことになる。
その意味では、上越市は意外と沖縄県と因縁があるというか、ゆかりが深いといえる。本連載後半の回で取り上げる予定の上越市の偉人、中村十作は沖縄の人頭税(15歳から50歳までの男女それぞれに、田畑の面積とは関係なく課せられた琉球王国による頭割りの租税制度)を廃止した人物であるが、前述のように坂口も沖縄とゆかりがある。実際、上越市は沖縄県宮古島市と中村十作の縁で、姉妹・友好都市を結んでいる。
東京帝国大学農学部農芸科へ入学
前段が長くなったが、ここで坂口の略歴を追ってみよう。上越市ホームページによると、高田中学(現・新潟県立高田高校)へ通っていた坂口は病弱だったため進級できず、東京の順天中学(現・順天中学高校)へ転校した。順天中学から第一高等学校(現東京大学)へ入学したが、一高時代はボート部に所属したり、スキーを楽しんだりして体を鍛えたという。その後、東京帝国大学農学部農芸科へ入学した。
坂口はカビの一種であるコウジ菌がどのようにして酒やしょうゆ、みそなどを作るのかを調査し、その性質を研究した。その後もさまざまな菌の性質を明らかにしたほか、病気に効果がある薬で抗生物質といわれる薬の仲間であるペニシリンの研究・開発を実施。ペニシリンの研究は、第二次世界大戦中、日本が世界に遅れていたが、坂口もその研究グループの一員として開発に貢献した。
一方で、食糧管理局研究所(現在の独立行政法人食品総合研究所)や東京大学応用微生物研究所(現在の分子細胞生物学研究所)など、民間企業にも研究所を設立し、1967年には文化勲章を受章した。
坂口博士「最後の弟子」、さをり織アーティストの坂井亮円さん
新潟県上越市在住で、さをり織アーティストの坂井亮円さんは不登校だった中学生時代、定期的に今の坂口記念館の楽縫庵にあたる当時の博士の別荘に行くようになったという。
坂井さんは、「坂口博士は坂井が中学を卒業した1985年春、東京のご自宅で病に倒れ、お医者様から新潟に帰ってはいけないというドクターストップが出て、その後お会いすることなく、1994年12月、97歳で天国に旅立たれました。1990年春、私の祖父のもとに私が大谷大学に入学したことを喜び、心からお祝いするというメッセージのお手紙が祖父のもとに届き、博士に大学入学を喜んでもらえて心から嬉しかった思い出があります。本好きな博士は母校東京大学のすべての学部に合格できるだけの能力を持ち、本当は文学部の哲学科に行きたかったそうですが、博士の親がうちは農家なのだから、お前は農学部に行けと言われ、農学部に進学され、首席で卒業され、東京大学の教授になられました。
今坂口記念館の楽縫庵にある古い本棚には私が中学時代に読んだ本も多く残されており、記念館に行き、それを見るのがとても私にとって励みになっております。本好きな博士が晩年、和歌をよく書いておられ、そういった文才は若いころからあったのではなかろうかと私は想像します。坂口博士の最後の晩年にかわいがっていただき、私はいわば坂口博士の最後の弟子であるといっても過言ではないでしょう。坂口博士をあこがれに、博士が天国で応援しているものと信じ、これからも私は頑張っていきたいです」と話している。
雪椿に込めた想い
坂口記念館には毎年時期になると、園内に雪椿が咲き誇る。女性スタッフは「坂口先生は雪椿が好きだった。生活に困ったら、地域の人たちには雪椿の苗を売ってもらいたいと言っていたようです」と話していた。
弱い立場の人にも気を配っていた坂口博士。今夜の晩酌は博士の偉業に思いを馳せ、日本酒でしっぽりと一杯やるのはいかがだろうか?
(文・撮影 梅川康輝)
<参考文献>
新潟県上越市ホームページ
坂口記念館(新潟県上越市頚城区)