【書評】幕末維新とパンデミック 医療戦士かく戦えり(著者/泉秀樹)

ポスト・コロナのための渾身の歴史ドキュメント

新型コロナウイルスが2020年に確認されて以降、世界中で猛威を振るっている。一時各国で緊急事態宣言が発令され、大都市が都市封鎖されたり、グローバリゼーションの流れが一気に萎んでしまったりしたのは周知のとおりである。

日本国内でも当初、得体のしれないウイルスへの恐怖から感染者などへの根拠のない中傷、感染者が確認された店舗への風評被害などが起こったほか、多くの尊い命が奪われ、いまなお我々の生活に暗い影を落としている。

一方、日本の歴史を振り返ってみると、攘夷(外国勢力を追い払う主張)か開国かで揺れる動乱の幕末においてもコレラが幾度か猛威を振るい、全国各地の日本人を恐怖に陥れた。

本書は、日本が世界に向けて開国しようとしていた幕末に猛威を振るった「死のパンデミック」に対し、日本人はどう立ち向かったのかを歴史作家の泉秀樹が描いた歴史ドキュメントである。

幕末から明治初期に日本を襲い、パンデミックを引き起こしたコレラ。細菌やウイルスが発見される以前の時代で、病魔の原因はおろか、治療法も手当ての術すらわからない。そうしたなか、呆然と立ち尽くす市中の民を支えたのは、蘭学を修めた緒方洪庵や松本順ら、日本の医学の祖である若き医師たちだった。

松本は幕末明治期の医師で、安政4(1857)年2月幕府の命によって長崎に留学し医学伝習所でポンぺから西洋医学を学んだ。しかし米艦ミシシッピー号が中国から日本にコレラを持ち込み、日本全国でコレラが猛威を振るった安政5(1858年)の第二次コレラ大流行の時,松本自身もコレラに感染している。しかし、ポンぺが伝授した治療法で無事回復を果たし、長崎で患者の治療に全力で当たっている(このコレラ大流行は攘夷の運動にも少なからずの影響を与えているそうだ)。

松本はその後、十四代将軍・家茂の侍医として家茂が大坂城中で脚気を病んだとき,その治療に専念したほか、明治以降は大日本帝国陸軍の初代軍医総監となり陸軍軍医制度や衛生制度の確立に尽力した。海水浴の効用を説いて、神奈川県大磯に海水浴場を開設したことでも知られている。

なお、この第二次コレラ大流行で江戸ではわずか2,3か月で数万人から数十万人が亡くなり、棺桶の製造が間に合わなかったそうだ。またコロナ支援給付金同様、幕府もコロナで苦しんでいる江戸の困窮者に救いの米を給付したという。

このほか、西南戦争の時に政府軍の兵隊輸送船でクラスター(死者16人、感染者40人)が発生したことなどが紹介されている。また現在の新型コロナウイルス感染の中でも風評被害の話を多く耳にしたが、明治初期のコレラ流行期にも石灰を散布した消毒・防疫を行っていた医師が「井戸に毒を入れている」と誤解され殺害されるという痛ましい事件が発生したことが紹介されている。

一方、本書では、一橋派と南紀派による将軍継嗣問題(13代将軍・徳川家定の後継を巡って生じた政争)、ペリー提督の黒船艦隊来航、安政の大獄、桜田門外の変、池田屋事件、蛤御門の変、長州征伐、西南戦争など幕末から明治維新にかけての出来事も同時並行で描かれている。

発行日は今年7月19日、本体価格は1,800円(税別)、240頁、株式会社日本医療企画。

〇目次

第一章 文政五年(一八二二)第一波──史上初のパンデミックと激変の中央政界

第二章 安政五年(一八五八)・第二波──封じ込んだ「長崎」と感染爆発の「江戸」

第三章 安政六年(一八五九)・第二波、翌年──全国的拡大と桜田門外の変

第四章 文久二年(一八六二)・第三波──緒方洪庵と松本順、歴史の表舞台へ

〇著者略歴

作家。静岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。新聞・雑誌編集記者を経て作家活動に入る。1973年に新潮新人賞を受賞。『文物の街道』(恒文社)、『海の往還記』(中央公論新社)、長編小説『士道の本懐』(PHP研究所)など著書多数。現在、J:COMの歴史番組『泉秀樹の歴史を歩く』の原作者・MCを務め、視聴率トップ。写真家でもある。

○購入

アマゾンでの購入はこちらから
ファクス(申込用紙)での購入はこちらから

こんな記事も

 

── にいがた経済新聞アプリ 配信中 ──

にいがた経済新聞は、気になった記事を登録できるお気に入り機能や、速報などの重要な記事を見逃さないプッシュ通知機能がついた専用アプリでもご覧いただけます。 読者の皆様により快適にご利用いただけるよう、今後も随時改善を行っていく予定です。

↓アプリのダウンロードは下のリンクから!↓