【権禰宜コラム】蒲原神社のここだけの話 第1回「蒲原に新しい風を」—— 金子 隆仁(かねこ たかひと)

直近の記事をピックアップし、日曜日に再掲載します(編集部)

初掲載:2024年5月28日

はじめまして!蒲原神社の権禰宜(ごんねぎ)金子隆仁です

蒲原神社の権禰宜(ごんねぎ)金子隆仁

皆様初めまして新潟市中央区長嶺町に鎮座する蒲原神社権禰宜(ごんねぎ)の金子隆仁(たかひと)です。約二年前に家業である蒲原神社を継ぐために新潟に帰ってまいりました。

これから「にいがた経済新聞」にて「蒲原神社権禰宜コラム」を発信させて頂くことになりました。どうぞよろしくお願いします!

ところで蒲原神社のイメージといえば「蒲原祭り」ではないでしょうか?「蒲原祭り」の豆知識はもちろんのこと、その他の蒲原神社の行事やお祭りも皆様に知ってもらうべく、蒲原神社の深い歴史に基づき蒲原神社の魅力・パワーをたくさん皆様にお伝え出来たらと思っております。

また、コラム名にもある「権禰宜(ごんねぎ)」って何?と思った方もいるのではないでしょうか。そういった神社界の基礎知識もこのコラムを通じて皆様にお伝えしていきます。

ちなみに権禰宜(ごんねぎ)は一般の会社でいう「社長」「副社長」のような役職の事です。「社長」にあたる宮司(ぐうじ)を補佐するのが禰宜(ねぎ)。禰宜の下位にあたるのが権禰宜で、一般の職務に従事する職階です。このような神社の職階については、今後のコラムで詳しくお伝えしたいと考えております。

ドラマ・映画俳優から転身、専業への決意

俳優時代の金子隆仁氏

さて、権禰宜コラム第1回は、自己紹介をさせていただきます。

私は蒲原神社の長男として生まれ、東京の國學院大學神道文化学部神道文化学科を卒業し、その後は夢であった俳優になりました。

俳優時代はNHKドラマを中心に映画やCM、また今流行りのアマゾンプライムビデオやNETFLIXのオリジナルコンテンツへの出演、また制作の裏側など様々な世界を経験させてもらいました。

そして2022年6月、私は家業である蒲原神社を継ぐため、新潟に帰ってきました。

2022年6月、蒲原神社を継ぐため新潟へUターン

さて、蒲原神社は私が帰ってくるまでは先祖代々「兼業」でやっておりました。ちなみに私の父は歯科医師、祖父も医師で現在も現役です。それ以前の先祖も兼業だったと聞いており、今回私が長い蒲原神社の歴史で初めて「専業」での挑戦を決意した形となりました。

専業として蒲原神社に従事し約2年。組織自体を見直し、根本から変えていかなければならないと感じる部分が多々あり、経営面を今日まで繋いでくださった方々の思い、歴史をリスペクトしながら新たな蒲原神社を共創すべく、日々奮闘しております。

悔しかった想い・・・蒲原神社の魅力を伝えたい

初めて私が神社を継ぐことに関心を持ったのが、高校生の時に地域の方々が神社を手伝ってくれているのを見てもっと家のものが頑張らねば、無償で協力してくれる方たちのためにも神社の魅力をもっと広めていかなければならないと思ったことでした。

昔から様々な人に、「たくさんのポテンシャルがあるのに活かせてないのが惜しいね。たくさんの魅力的な歴史があるのにもったいないね」など多くの意見を頂いておりました。

私自身、蒲原神社の100パーセントの力が発揮されてない状態で世間から評価されていることがとても悔しく、どうしても蒲原神社をあるべき地位にもっていきたい、新潟の地の為にもそうしなければいけないと思いました。

まず蒲原神社の魅力を知っていただくためには、まずは蒲原神社に来ていただけるように魅力的な神社にしなければいけません。これからこの「権禰宜コラム」を通じて皆様に少しでも蒲原神社の魅力が伝わるよう努めてまいりますので、皆様よろしくお願い致します!

次回は、開催直前の「蒲原祭り」についてお伝えいたします。(次回コラムは6月中旬ころ発信予定)

蒲原神社 権禰宜 金子 隆仁(かねこ たかひと)
1997年7月29日、新潟市生まれ(26歳)、しし座・O型。國學院大學神道文化学部神道文化学科を卒業後、東京にてドラマ・映画俳優として活動。2022年6月に新潟に戻り、蒲原神社の権禰宜として活動中。趣味はサッカー・映画鑑賞・食べ歩き・旅行。好きな言葉は「本当の敵は自分自身」。

こんな記事も

 

── にいがた経済新聞アプリ 配信中 ──

にいがた経済新聞は、気になった記事を登録できるお気に入り機能や、速報などの重要な記事を見逃さないプッシュ通知機能がついた専用アプリでもご覧いただけます。 読者の皆様により快適にご利用いただけるよう、今後も随時改善を行っていく予定です。

↓アプリのダウンロードは下のリンクから!↓