【第11回①】「くびき野水車発電のフィールドワーク」くびき野の文化フィールドを歩む―1990年~2023年 石塚正英(東京電機大学名誉教授)
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掲載日:2024年6月5日(最終更新:2024年6月9日)
前回(第10回)はこちら→ 10-1.関川を遡る古代朝鮮文化の足跡をたどる
11-1.くびき野水車発電のフィールドワーク
2008年4月、私は、上越市仲町6丁目の実家〔大鋸町ますや〕に事務所をおいてNPO法人頸城野郷土資料室を開設しました。その目的は、同市を拠点に、歴史的建造物・地域文化・景観の再評価、およびそれらの活用という観点にたって、当該地域周辺の活性化をはかることでした。その一環として上越過疎地域での新エネルギー対策に注目し、伝統的な水車を復活し小水力発電を試みました。これは2010年からのフィールド調査を踏まえた事業でしたので、本シリーズの一コマに組み入れてみました。
まずは、なぜ「水車発電」なのかという問いに答えましょう。上越市域は多くの山間部を含みます。そこではマイクロ小水力発電(ダムなどでなく自然の流れでの水車発電、出力100KW 以下)が有効です。かつて日本各地の山村に多くみられた水車の発電転用です。これは無尽蔵の水資源を有効に利用し、環境を破壊することもありません。また、過疎地での電力供給だけでなく、伝統技術の継承にもつながります。こうしたエネルギー自立を支援することで、ひいては過疎地域の人々がそこに生きていく意志と希望とを再構築できるようになれば、本NPOとしては望外の喜びとなるのです。
それからまた、私は、地域に根ざした技術という意味での〔ローカル・テクノロジー〕を提唱しています。これはローテク(伝統的な技術)・ハイテク(合理的な技術)いずれをも取りこみます。地域にとって相応しい技術であれば、ローテクもハイテクも併用し、ドンドン取り込み、結合し、融合するのです。ローカル・テクノロジーは人と人の関係を豊かにします。こうして理念を確立した水車発電プロジェクトは、以下のような準備を開始しました。
2011年3月12日:上越市西山寺の桑取川沿いに水車発電候補地を見学する。雪解け時期だったため、豊富な水量に満足する。
4月8日:西山寺の桑取川沿いに水車発電候補地を再調査する。落差6メートル、水量毎秒30リットル以上、まちがいなく適地であることを再確認する。
4月17日:新潟県県民生活課を窓口とする「公益信託にいがたNPOサポートファンド」平成23年度助成の募集が3月にあり、これに「くびきの水車発電」応募。
5月13日:公益信託にいがたNPOサポートファンドへの応募「くびきの水車発電」が採択される。
5月27日:西山寺での発電システム構築へむけた協議会を行う。
6月26日:桑取西山寺町内会館で、町内役員各位に水車発電事業に関する説明会を行い了承を得る。
7月22日:桑取西山寺での水車発電事業に関する会議を行い確認をする。
9月24日:桑取西山寺での水車発電事業に関する会議を行う。施工業者を古嶋建築(水車本体)・清水組(台座・樋・小屋)、技術協力者を東京電機大学(発電システム)とする。
11月07日~13日:水車台の組み立ておよび水車の設置、発電システム構築を行う。
12月04日:西山寺の水車発電現場で発電システム構築作業(東京電機大学・清水組)。50ワット相当の発電をみる。
12月15日:西山寺で水車発電の作業を行い、電気を点灯させる。起きた電気は、とりあえず、小屋内の照明に用いるほか、クリスマスのイルミネーションに使用することとする。一応の設置完了をみたので、電気を起こすこの水車システムを、背後の滝の名称と最大のパートナーである東京電機大学に因んで「電大小滝号」と命名する。
2012年2月24日:事務所において関係者で会合を持ち、12月~2月の現場の様子について意見交換した。結果、降雪の影響もなく順調に発電していることを確認し、本プロジェクトを終了することとした。次年度は雪解けをまって、あらたな実験計画のもとにプロジェクトを継続していくこととした。
4月13日:西山寺の水車発電現場で、バッテリーとチャージャーをセットする。これで発電+充電が可能となった。まずは一段落となった。
6月10日:西山寺の水車発電現場で、東京電機大学理工学部の2年生が実習を行う。その後夕刻より同町内会館で「竹の子会」があり、NPOメンバーおよび東京電機大学関係者が参加する。
2013年8月9日:学生たちによるメンテナンス実習(映像は実習風景と回転中の発電機)。
2014年8月8日:台風が近づいていた。豪雨の中の水車発電小屋だ。泥流の直撃をさけるよう、バルブは閉められている。ときに安全がすべてに優先するのである。左に見える濁流は、水車にまともに当たれば、もしかすると小屋を破壊してしまう。2010年から継続してきた水車発電の試験的運用は大方の事態を経験したことになるので、この数日後、運用はいったん終了した。安全確保のため、発電小屋を撤去した。
(「11-2.埼玉県鳩山町での水車発電プロジェクト」につづく)
1949年生まれ。18歳まで頸城野に育まれ、74歳の今日まで武蔵野に生活する。現在、武蔵野と頸城野での二重生活をしている。一方で、東京電機大学理工学部で認知科学・情報学系の研究と教育に専念し、他方で、NPO法人頸城野郷土資料室を仲町6丁目の町家「大鋸町ますや」(実家)に設立して頸城文化の調査研究に専念している。60歳をすぎ、御殿山に資料室を新築するなどして、活動の拠点をふるさと頸城野におくに至っている。NPO活動では「ますや正英」と自称している。
【連載コラム くびき野の文化フィールドを歩む】
#10-1.関川を遡る古代朝鮮文化の足跡をたどる