【第11回②】「埼玉県鳩山町での水車発電プロジェクト」くびき野の文化フィールドを歩む―1990年~2023年 石塚正英(東京電機大学名誉教授)
前回はこちら→ 11-1.くびき野水車発電のフィールドワーク
11-2.埼玉県鳩山町での水車発電プロジェクト
2011年3月以降、上越市の中山間地区、西山寺の桑取川沿いで水車発電の実験を開始したのと前後して、私は勤務校の東京電機大学理工学部の所在地、埼玉県比企郡鳩山町でも同様の候補地を見出しました。前以って2010年7月、鳩山町長あてで次の提案を行いました。
鳩山町を流れる越辺川(荒川水系入間川の支流)を現場として水車発電の実験を行い、うまくいけば大学・地域連携の発電事業を興すという提案です。第一の目的は、昔ながらの技術を活用してエコ・エネルギーを産み出すことです。第二の目的は、鳩山町および近隣の住民各位と本学(教員・学生)の間における地域貢献・地域交流を創出することです。
「鳩山町農村公園条例」(平成8年3月25日条例第9号)の第2条に以下の条文が読まれます。(1)農村活性化施設、(2)湿生植物園、(3)親水広場、(4)その他の関連施設。上記のうち(3)ないし(4)について、その中に水車発電システムの導入を提案しました。越辺川での実験を踏まえ、さらには同水域以外の他所での発電を企画し、それを通じて水車発電システムを自然・環境・共生・地域文化・エネルギー資源・憩い・景観など、鳩山町が企図している諸目標実現の象徴にしていくことを理念に掲げました。
くびき野に一歩先んじた鳩山町での実験経過は以下のようでした。2010年秋に、まずは電機大学の学生たちを主体にして「水車&太陽光発電project~Let’s generate electricity~」を立ち上げました。それから、農村公園を流れる川に発電システムを構築しました(写真上)。その際、学生たちなりに以下の目標を掲げました。
「自然エネルギーを利用した発電を行い、鳩山町で有名になるようなイルミネーションスポットをつくる。町民の方々との協力で社会性を学ぶ」。
スケジュールは以下の様でした。水車の補修・設置(10月)、水車小屋の製作・ガイドベーンの製作(11月)、配線工事・イルミネーションの取り付け・点灯(12月)、最終プレゼンテーション(11年1月)。こちらは大学での演習の一環であるわけですから、そうそうゆっくりはできませんでしたが、多少とも発電を記録しました。電力の不足分はソーラーパネルを併用してみました。
大学と地域の結びつきは強く、この実験を通じて地域住民とのあいだで様々なイベントが実施され、鳩山町の地域活性化・小水力発電の発展、人との繋がりの大切さが関係者相互に認識されました。また、教育面でも、図面作成、資材加工・製作の技術の向上が見られました。これと同様の効果をねらって、私は学生たちを上越市に連れて行きました。拙宅を合宿所のように使い、水車発電小屋では水量と発電量の関係ほか種々の実験を行い、水車のメンテナンスなどについても学びました(写真下)。
村人との交歓会ではそば打ちやその試食を体験し、相互校交流は満点でした。電大生の中にはサウジアラビアからの留学生もいて、村人からこう質問されていました。「ほとんど雨が降らない国なのに水車発電を勉強して何になるんだい?」「水はないですが石油ならたっぷりあるので、それを使って水車を回します!」こうしたユーモアあふれるひと時を過ごせた学生たちは、大学での4年間の学びにおいて、きっと忘れ得ぬ思い出となったことでしょう。
(「11-3.じょうえつ東京農大と頸城野郷土資料室」につづく)
1949年生まれ。18歳まで頸城野に育まれ、74歳の今日まで武蔵野に生活する。現在、武蔵野と頸城野での二重生活をしている。一方で、東京電機大学理工学部で認知科学・情報学系の研究と教育に専念し、他方で、NPO法人頸城野郷土資料室を仲町6丁目の町家「大鋸町ますや」(実家)に設立して頸城文化の調査研究に専念している。60歳をすぎ、御殿山に資料室を新築するなどして、活動の拠点をふるさと頸城野におくに至っている。NPO活動では「ますや正英」と自称している。
【連載コラム くびき野の文化フィールドを歩む】
#10-1.関川を遡る古代朝鮮文化の足跡をたどる