「ありがたや、上越新幹線 上越新幹線開業40周年で思うこと」えちごトキめき鉄道社長 鳥塚亮
上越新幹線が開業して40年が経過しました。東海道新幹線(東京-新大阪)の開業が1964年。山陽新幹線の岡山延伸が1972年。博多全通が1975年。
そして東北新幹線(盛岡まで)と上越新幹線が開通したのが1982年ですから、新幹線というのはこの辺りまではポンポンポンと次から次へとできていて、新潟県は40年前に県庁所在地に新幹線が来ていたことになります。全国的な新幹線の開通を年代別に見てみるとこのようになっています。
新幹線の開通年
1964年10月:東海道新幹線
1972年3月:山陽新幹線 岡山部分開業
1975年3月:山陽新幹線 博多全通
1982年6月:東北新幹線 盛岡部分開業
1982年11月:上越新幹線 新潟全通
1997年年10月:北陸新幹線 長野部分開業
2002年12月:東北新幹線 八戸延伸
2004年3月:九州新幹線 新八代-鹿児島中央部分開業
2010年12月:東北新幹線 新青森全通
2011年3月:九州新幹線 博多-鹿児島中央全通
2015年3月:北陸新幹線 金沢延伸開業
2016年3月:北海道新幹線 新函館部分開業
2022年9月:西九州新幹線 武雄温泉―長崎部分開業
1982年に東北・上越新幹線が開業した後は、国鉄の赤字が拡大して新幹線の建設工事はストップしました。1982年に盛岡まで開通していた東北新幹線が八戸まで開通したのが2002年。約180㎞延伸するのに実に20年かかっていて、新青森まで延伸したのがさらに8年後の2010年。盛岡まで部分開業してから新青森まで全通するのになんと28年かかっています。
北陸新幹線も同じような経緯です。長野まで開通したのが1997年。これは1998年に開催される長野オリンピックが決まったことから急遽建設が決まったようなものですが、その後金沢まで開通するのが2015年ですから長野開通から18年かかっていることになります。
九州新幹線については山陽新幹線が博多まで開通した1975年から36年かかって2011年に鹿児島中央まで全通していますから、上越新幹線の新潟開通以降、どの新幹線も多大な時間を要していることがわかります。
東北新幹線の盛岡以北や北陸新幹線、九州新幹線などは今からちょうど50年前の1972年に国が整備新幹線計画(全国新幹線鉄道整備法)で建設すること定めてから半世紀を経てこの秋に長崎まで部分開業しているというのが新幹線の延伸の実態なのですが、新潟県には40年前にすでに県庁所在地に新幹線が来ているのです。
全国いろいろな地域が新幹線を自分たちの地域に欲しいと請願しているのが地方都市ですが、新潟県はありがたいことに40年前にすでに新幹線が県庁所在地に来ているわけで、これは偉大な政治家の先生のおかげであることは確かなのでありますが、新潟に住んでいると、新潟県民の皆様は新幹線があることのありがたさがわかっていないのではないかということを感じます。
まぁ、40年前に新幹線が県庁所在地に来ているということは、40歳以下の方は「おぎゃー」と生まれたときから新幹線があるのが当たり前ということになりますから、そのありがたさを理解しろと言われても難しいことかもしれませんが、何がありがたいかと言うと、かつては夜行列車で一晩かけて行っていたような東京まで、2時間以内で行かれるようになったことはもちろんですが、もし今、新幹線を新潟市まで開通してもらおうと思ったら、上越線の水上から長岡を経由して信越線の新潟駅までの在来線を、並行在来線として県と沿線市が引き受けなければならなくなっていて、大きな負担が課されるにもかかわらず、それを負担せずに新幹線だけを手に入れることができているのですから、私はありがたいことだと思いますし、もたもたしていたらそれこそ他県のようになっていたのに、さっさと新幹線を作ってしまったのは当時の偉い人たちの先を見る目と行動力にあったと今更ながらに思わざるを得ません。
というのも国鉄時代に開通した新幹線区間とは別に、JRになってから新幹線を延伸しようとすると、建設着工する前に地元の県や市町村が在来線を経営分離して地元やきちんとやっていくという合意が求められる決まりになっていて、北陸新幹線で言えば長野県も富山県も石川県も福井県も大きな負担を強いられるのですが、新潟県の場合は上越新幹線ではそれがありませんから、当時の経緯を知る人間としては「新潟県は何とラッキーだったのだろうか。」と思うのでありますが、それを県民の皆様方が理解しているかとなると、そうではないだろうなあと思うのです。
上越新幹線が抱える不安要素
さて、その上越新幹線ですが、実は大きな問題を抱えていると私は考えています。それは市場的に見て利用者数の伸びが限られるということです。上越新幹線の沿線には県庁所在地が新潟市しかありません。
ところが、東北新幹線は福島、仙台、盛岡、青森、そして東北新幹線から分岐する山形、秋田と6つの県庁所在地を結びます。(関東地方を除く)
北陸新幹線も長野、富山、金沢、そして現在延伸工事が行われている福井を合わせると4つの県庁所在地を通ります。
その県庁所在地の沿線人口を見てみると、
東北新幹線:福島市(28万)、仙台市(110万)、盛岡市(29万)、青森市(27万)、山形市(24万)、秋田市(30万)です。北陸新幹線:長野市(37万)、富山市(41万)、金沢市(46万)、福井市(26万)となっています。
東北新幹線沿線の県庁所在地の人口合計は山形秋田を含めて248万人になります。北陸新幹線沿線の県庁所在地は延伸予定の福井を入れて150万人になります。
これに対して上越新幹線は唯一の県庁所在地の新潟市は78万人ですから、新潟市は県庁所在地の人口としては仙台市に次いで大きいものの、その他を結ぶ路線ではなく、行き止まりの袋小路なので輸送需要が限られるということになります。
まして、以前は北陸方面へ行く人たちが越後湯沢乗り換えで利用していたものの、最近はその輸送が北陸新幹線に代わってしまっているため、客観的に見てこれ以上需要の発展性がありません。
これに対し、東北新幹線は現在札幌へ向けて工事が進行中ですし、北陸新幹線も間もなく福井県の敦賀まで延伸しますから、需要の発展可能性が大きく残されています。これが私が考える上越新幹線の最大の問題点ですが、新潟県民の皆様方はそういう認識はおありでしょうか。
では、今後上越新幹線はどうなるのか。
東北・上越・北陸新幹線の輸送形態を見ると、大宮―東京間がボトルネックになっていることがわかります。東京へ向かって3方面から走ってきた新幹線電車が、大宮から東京までの区間は同じ線路を共有して走るのですから、そこが輸送のネックになります。つまり、東北・上越・北陸の各新幹線が線路を分け合って使っているということになりますね。
東京駅で新幹線の発着状況をご覧になった方はお判りいただけると思いますが、列車の到着から折り返しの発車までの間隔は20分です。
到着後2分で乗降終了、12分で車内清掃、乗客の乗車から2分で発車。その発車した列車が2分後に神田駅付近で反対列車とすれ違い、前の列車の発車の4分後に、そのすれ違った列車が次の列車としてホームに滑り込む。この間20分。このインターバルで1つのホームで1時間に3本。
東京駅のホームは4本ありますから、東京駅の発着最大列車本数は1時間に12本ということになります。こういう数字を線路容量といいますが、この1時間に12本という枠を東北・上越・北陸の各新幹線で分け合っていて、そのうち東北新幹線には山形、秋田の両新幹線が併結されて走っているのが現状です。
となると将来的に予測されることは何か。
賢明な読者の皆様方にはすでにお気づきになられる方もいらっしゃると思いますが、需要の拡大が見込まれる東北、北陸新幹線の増便であり、そうなると当然のように需要の少ない上越新幹線の減便ということが考えられるのです。
私の予測ですが、経済が回復し輸送需要が順調に伸びていけば、上越新幹線の東京駅発着便は減らされ、上野発着になるか、あるいは大宮発着か、それとも高崎駅で北陸新幹線から隣のホームで待っている上越新幹線の電車にお乗り換えなどということも十分に考えられるわけで、つまりは上越新幹線の位置づけというのはだんだんと低くなっていくことが予想されますから、できるだけ早くそういう状況を理解して、そうならないためにはどうしたらよいのか、県民の皆様方が考えていかなければならないと、上越新幹線40周年を迎えて、私はそんなことを思うのです。
鳥塚亮
1960年東京都生まれ。明治大学商学部を卒業後、外資系航空会社に就職。2009年に公募でいすみ鉄道社長に就任。2019年、公募でえちごトキめき鉄道の社長に就任。鉄道に関する著書も2冊ある。