「鍋茶屋、古町芸妓に『新潟すごいわ』と感じた」新潟県元副知事・中国運輸局長 益田浩
第2回目もよろしくお願いします。仕事柄、日々、新聞はよく読んでいます。よく見落としがちですが、東京など限られた地域以外では、通常、全国紙では無く、地方紙が読まれており、その地域の世論に影響しています。新潟県に住んでいた頃は、地元紙の新潟日報と全国紙の日本経済新聞、広島在住の現在は、毎朝、地元紙の中国新聞と引き続き、日本経済新聞を読んでいます。なかなか中国新聞の紙上で新潟の話題を見つけるのは難しいのですが、その分は新潟日報やにいがた経済新聞のWEB版で新潟の旬な情報を補っています。
物理的に離れても気になる地域があることに幸せを感じますが、今回は、新潟への関わりが始まった新潟県庁への赴任から振り返ってみたいと思います。新潟県庁への出向の内示があったのは、国土交通省総合政策局で省全体の税制を担当する参事官を務めていた平成29年7月でした。この参事官ポストは旧建設省と旧運輸省の事務官が交互に1年ずつ務めていたため、私も着任後1年近くが経ち、そろそろ人事異動の時期かなと感じていました。
とはいえ、都内に中古住宅を購入してまだ2年弱、長男の受験も控えており、東京を離れることは念頭にありませんでした。特に新潟県副知事のポストは当時3代目であり、初代と3代目は新潟県勤務経験者、2代目は新潟県生まれの花角現知事でしたので、私には縁が無いものとして、異動先の候補と考えていなかったのが正直なところです。そんな折、ちょうど勤務時間が終わった頃のタイミングで、当時の人事課長から電話があり、「明日、10時に人事課長室に来て。」との連絡でした。これは焦りますよね。まず、何か悪いことの心当たりはあるかと真剣に考えました。結局は杞憂であり、人事課長からは「2週間後、新潟に行く?」との意向確認で、それだけで意味は通じました。国家公務員の内示は、通常、転勤を伴うものは2週間前、転勤を伴わなければ1週間前にあります。子供との関係上、単身赴任とならざるを得ず、家族と話す猶予を1晩もらい、翌朝あらためて、「よろしくお願いします」と返事をしました。それから実際に赴任するまでの2週間は、ご想像のとおり、引越の手配や後任者への引継ぎなどバタバタでした。
なお、後日漏れ聞いたところによると、私に新潟県行きの白羽の矢が立ったのは、地方自治体の勤務経験があること(先に北海道庁で交通企画課長を経験していました。)と、新潟県が力を入れようとしている観光分野での行政経験があること(日本政府観光局(JNTO)バンコク事務所長として、3年半、タイ、フィリピン、ベトナムなどからの訪日観光客の誘致を担当していました。)が決め手となったようです。
先に新潟とのご縁は無かったと書きましたが、もちろん、仕事での出張で新潟県を訪れたことはあり、朱鷺メッセや完成したばかりのサッカースタジアムを視察したことがあります。そのほか、赴任当初、しっかりアピールさせてもらったのですが、実は新婚旅行で新潟県に来ています。
その話題を出すと、皆、「何故?」と大いに関心を持っていただけるので、我ながら良い選択をしたなと思います。結婚当時、かなり忙しい部署にいて、当時の上司からは早々に「海外旅行には行かないよね?」と釘を刺されており(20年以上前の話です。念のため。)、妻も西日本の出身だったため、東京より北に行こう、ただし、北海道は2人とも行ったことがあったため、それなら、福島県・新潟県だと決めました。まず、仙台経由で会津若松に入り、喜多方に寄りつつ、磐越西線に乗って新潟入りしました。後日、磐越西線の沿線にある津川の狐の嫁入り行列に家族総出で参加し、夫婦で仲人役を務めさせていただいたときは20年前を思い出し、感慨深かったです。
ただし、残念ながら新婚旅行当時の新潟での思い出は、日本一の信濃川を見学するため、駅から歩いて見に行ったこと(きっと萬代橋だと思います。)と、笹団子を笹ごと食べようとしたことくらいで、どちらかというと鶴ヶ城や喜多方ラーメンがある福島県の方が記憶に残りました。
本題に戻りますが、当時は現衆議院議員の米山隆一氏が県知事として精力的に仕事に取り組んでおられており、やや緊張しつつ、新潟県への赴任の日を迎えることになりました。上越新幹線で2時間程度と、印象よりも近いなぁと考えているうちに新潟駅に到着、うーん、玄関口としてはあまり特徴が無いのはもったいない、と感じたことを覚えています。今、まさに新潟駅は大改装中ですので、2024年春に予定されている全体開業が待ち遠しいですね。駅から県庁に向かう間も、車窓から街並みを眺めていましたが、あまり特筆する光景は無かったと記憶しています。こういうとき、街のシンボルがある城下町は得です。着任して最初の1週間は粛々と挨拶回りを重ねていましたが、この頃、私の新潟の印象を一変させる出会いがありました。
それは鍋茶屋であり、古町芸妓でした。うわっ、新潟すごいわ、と感じた最初の出来事で、これから何度も、新潟すごいわ、と感嘆することになります。これについては、またの機会に書かせてもらいましょう。
益田浩
昭和61年3月私立修道高等学校卒業、平成3年3月東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種(法律)合格。平成3年4月運輸省採用。平成9年7月運輸省大臣官房人事課付(英国ケンブリッジ大学留学国際関係論)、平成27年7月自動車局自動車情報課長、28年6月大臣官房参事官(税制担当)などを経て、29年7月新潟県副知事。令和2年7月内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官、令和4年6月国土交通省中国運輸局長。
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