「文明論」第1回「駅裏」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)
文明論。ずいぶんと大仰なタイトルだが、社会学者でも何でもない、最終学暦は新潟県立新潟南高校卒業、書籍も生涯通してたいして読まず、専門と言えるような職すら持たない現在60歳の私が、日々の思い付きをほうじ茶などをすすりながら(実際はスタバだが)書くエッセイなのだから、学術的な厳正さなどとはまったく無縁のまあまあな雑文である。これをもって世に何かを問うだなんて野心などあろうはずもない。
しかし、如何にまあまあな雑文であっても、自分の実体験を通して脳に浮かんだ世界をモデル化し、文字に書いて説明しようというのだから、大学の学者さんたちがやってきたことと海と山ほどには違わないだろう。やはり「論」はタイトルから外せない。
「文明」のほうも確かにちょっとでかい。なにせ文化ではなくて文明だ。大河のほとりに発生したり滅亡したりするあれのことだ。こっちは、やはりでかく出れば、私の一生のテーマとも言える。
子供のころから大好きだった名著『ノストラダムスの大予言』に始まる大人の常識への疑い、即ち、完成されて揺るぎないとされた世界に対する疑念を、年齢だけは押しも押されぬ大人になって、一丁こちら側の視点から総括してみたいという意欲がむやみにスケールを押し上げている。
そんなわけで、タイトルもテーマも文明論である。この卑近でありながらでかい話。先ずは、私がまったくの素裸の無知、つまり文明度が完全にゼロの状態でこの地上に現れたところから始めよう。
私が生まれ育った家は新潟駅のすぐ南側、今では「けやき通り」などと小洒落た名前の付いた道路から三軒ほど鉄道の側に入ったところにあった。1964年の新潟地震もそこで経験している。
上越新幹線が開通する前の新潟駅は、南側に広い操車場があり、南口も連絡通路も無く、国鉄のフェンスから笹出線まで二百mちょっとのエリアはざっくり、駅裏と呼ばれていた。父が二十代でその家を買った時は、「蒸気機関車の煤で洗濯物なんか真っ黒になるぞ」と言われたそうである。家の裏に流れもしないで汚泥と油の浮いた汚水を溜めたまま横たわるドブ川を大人たちがフルシナノガワと呼称していたのが不思議だった。どう見てもあんな有名な河川に関係がある水路とは思えなかったからだ。それが延びてゆく先には草深い空き地が広がっていて、「けやき通り」にしたって凸凹の砂利敷の道で、その薄暗い風景は真に裏だった。
日が沈めば漆黒の夜空には、蠍座やオリオン座や火星などの星々が図鑑の写真で見たようにくっきりと姿を現した。しかし、その眼を北の空、つまり駅の方角へ向けてみると、ネオンやビルの照明から立ち昇った薄いピンク色のベールが天を覆い、星はほとんど見えなかった。この頃に言われ始めた、いわゆる光害である。70年代のオイルショックまではビルの高い広告塔の上からサーチライトまでがくるくると無意味に夜空を照らしていた。
大人の視点で俯瞰してこの状況を記述すれば、より文明の光に近い、つまりメジャーな側にいる人に分かる順番で書くだろう。それは、「極東にある島の日本という国の新潟という裏側の海に面した市の街外れに私はいます」となる。
ところが、素裸で無知なる魂が世界を認識してゆく順序は逆だ。最初に自分の立っている場所こそがスタート地点だと捉えて、より明るい、光のやってくる境界の向こう側を望みながら、様々なチャンネルで知識を獲得し、空想を膨らませて自分なりの世界観を構築してゆく。
まだ自分の位置を俯瞰して見ることのできない子供にしてみれば、無機質な機械である操車場と駅に隔てられた向こう側に現れるピンク色のベールは、夜な夜な、畏敬ともいえる不思議な精神の高揚とともに仰ぎ見る彼岸からの光だった。
そして、子供の侵入を断固として禁止するそのフェンス際には、門番のようなあの怖ろしい灰色の給水塔が二十四時間、この一帯を見張っていた。それが世界のほとんどすべて。あとはトウキョウとかアメリカとか、遥か遠いところにテレビの中のワンダーランドがあるらしい。といった雑な知識があるだけだった。
これは大人になって他所の土地を知るようになってからの認識だが、この地方都市郊外の治安はすこぶる良く、犯罪も貧困も差別も社会のカゲといったものはほとんど存在しない世界的に見て非常に稀な場所だったようだ。
そんな薄暗いなれど無風の地上に降り立った私は、西洋人が履くようなパンツと洋服を着せられ、鉄道の北側にある学校へ通うようになった。
なぜここにこのような文字数を費やすかといえば、もし、この時点で私が別の地上をスタート地点としていたら… 文明は、私にとってまた別のものになっていただろうと予想されるからである。
19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパ文明はパンデミックの病原体のごとくこの地上に暮す者すべての間に広まり、そこで定着した。そして、衣・食・住、教育、政治、経済、娯楽といった社会のあらゆる分野において、その上下と善悪を規定し、その習得と向上を各人に強いるようになった。日本列島にはかつて中国文明を下敷きとした別の規範が存在したが、あっという間に払拭されたように見える。そんな昔のことはまるで無かったかのように。
それ以来、文明といえばヨーロッパ発祥の文明のことに他ならない。6歳になった私が。鉄道の境界を越えて新潟市立南万代小学校へ行かねばならなかったのは、その文明を身に着ける初歩的な訓練のためである。私はそこでの6年間と新潟市立宮浦中学校での3年間を使って、ヨーロッパ型日本人に仕立てられたわけだ。
いったい素裸の無知な人間(つまりは野蛮人である)の一個体が、直接的には千数百年ほどの人類の(主に西洋人の)蓄積に触れ、それらをまるで生来自分のものであったかのように振り回す傲慢な文明人となってゆく。というのはどういうことなのか。
そんなことを考えながら成長するには、その駅裏という場所は辺境すぎず中央すぎず、ただぼんやりと文明の光を眺めて過ごせる絶好の環境だったのではないだろうか。ずいぶん以前に大人になり、文明から離れて思考することが不可能となってしまった自分が、文明というものを客体化して捉えなおすとき、ここの風景の記憶に想いをはせるのは単純に有益なことだと思う。
たとえば「オシャレ」だとか、「カッコイイ」だとかいえるものはこの場所には無かった。唯一、モノクロの低画素数のテレビだけが、それらしい価値観を伝えていたようだが、その箱から流れてくるビートルズのオブラディ・オブラダが、いったいどうカッコイイのかさっぱり価値が分からなかった。
野蛮と文明の中性浮力。これこそが現在、東京に暮らし、ちょっと他人様が羨まないでもないクリエイティブな活動で収入を得て、浦島太郎の竜宮城か終わらない文化祭か、ただ遊んで暮らし常世の春を謳歌するキリギリスたる私にとって、その屋台骨を支える頑強な基礎となっている「駅裏の無価値観」というものだ。
この道に入ったとき、普通に勤め人をやってきた父から「何も生産しないお前らに社会的な価値は無い」と言われたのを憶えている。(銀行員に言われたくないね。とは言い返さなかったが)その言葉が多少なりとも心に残っているということは、どうやら自分は野蛮人のまま外へふらふら出たわけではなく、その自身の活動に何らかの負債を意識し、かなりの価値を社会に対して返済しなければならない。という文明人としてのタスクを、いつの間にか脳内に埋め込まれていたということだろう。ただ同時に、父の言う社会的な価値なるものが、夜な夜な操車場の向こうに立ち昇るピンク色のベールほどにしか感じてこなかった自分には文字通り「なんのこっちゃ」だった。
この、さっぱりわからないヨーロッパからやってきた文明。それが規定する社会的な価値。そしてその価値ある(らしい)何かをトレードし続けるようにと洗脳された私。これらが織りなす矛盾は多かれ少なかれ誰もが感じて生きているものだろう。とりわけこの日本という国ではそうだと思う。答えの出ない三体問題を、個人的に何度でもリセットできるスタート地点。たぶん禅でいう無の境地(ほんとか?)それがこの駅裏だったということだ。
方言はダサい。だの、英語で言うとカッコイイ。だの、腕や脚が長くて美しい。だの、デブは消えろ。だの、東大へ入った優秀な子。だの、テレビにも出た立派な有名人。だの、どんな田舎でも都会でも、人は口を開けば手あたり次第何かを評価して語る。どういうのが上で、どういうのがそれより下か。あれが素晴らしい。あれがくだらない。複雑に形成されている各クラスタにより微妙な違いは見られるものの総じて捉えれば、だいたい同じ傾向を示すのが文明による価値観というものだ。
一流とされるものは批判を受けても一流だし、三流は擁護されても三流。その評価へ抗うのはそれぞれの勝手だが、ここで発生した希少性、つまり、より多くの人が競って求めるものが社会の中での一般的な価値と見なされ、前述した大きな枠でいうトレードの対象となる。
そのために各個人はコストを払い続け、社会はその収益でより一層明るく光を放つように発展し、夜空の星をも隠してしまうという仕掛けとなっている。
現在の「けやき通り」では南の空も星は見えない。駅裏は新潟駅の新幹線ホーム整備と共に駅南と呼称を変え(最後の名残がスナック駅裏だった)、私も家のすぐ近所に作られた西側連絡通路を使って東京へ通うようになっていった。
ピンボケの丸い画面だったテレビは今やR・G・B三色の光を高精彩に放ち、私はその奥から何かを送る側の人間となり、さっぱり分からないオシャレやカッコイイたちと半笑いで付き合いながらオブラディ・オブラダを歌っている。
そしてある日にふと気が付いた。もうあの駅裏に立つことは出来ない。
テレビもトウキョウもアメリカももうワンダーランドではありえず、それらすべてがごっちゃになって「けやき通り」に並んでいた。今でももっと郊外へ足を延ばせば、昔ながらの暗黒の中に輝く星空を見ることは出来るだろう。だが、あのピンク色の… 境界によって切り落とされた文明の断面。というこの上ない絶景は、おそらくあの時の私がそう認識し、記憶したものが最後なのではないか。ヨーロッパ文明の光はこの国の津々浦々、富士山の天辺まで行きわたり、誰もそんなことなどまったく意識しなくなるまで、完成されて揺るぎない常識となって定着したように見える。
私はその失われてしまった絶景を、どのような形であれ再現しようと考えている。それは個人的なノスタルジーではなく、一人の文明人として生活することの債務返済のためだ。それはすでにこの社会では希少性があり、遠くない将来、多くの人が競って求めるもの、つまり社会的に価値の生まれるものだろうと踏んでいるからだ。
隅々までようやく光の行きわたった社会で、そこに未来に対する悪い予感や隠された不都合があったとして、人はさっさと昔の闇へ戻ることを求めるだろうか。私の考えは否である。無影灯のような味気ない光に包まれた人は、当然のごとく何かの闇を欲求するだろう。しかし、無意識のうちにあるその闇の使用目的は決してそこへ逃げ込むためではなく、むしろ溢れんばかりに己を包みこむ文明の光を闇によって部分的に切断して断面を見て、そこに光が届いている事実を確認し、この無常なる浮世に生きている不安を少しでも和らげることにあると考える。
子供の頃、駅裏から鉄道を隔てて望んだ繁華街は、そのまま新潟から険しい山脈を隔てて望んだ東京と相似形を成し、さらには日本から海洋を隔てて望む外国へとつながっていたはずだ。あの時代、鮮やかに見えていたこの流れも、いつしか滞り文明の光の澱みともいえる状態を呈している。
この「ぼんやりとした不安」はなにも日本だけのものではない。この地上に広がることで活力を得ていた元気なヨーロッパ文明の賞味期限が徐々に近づいているのだと言われる。もし勃興と衰退が同じ曲線を描くのだとしたら、23世紀には、今とは別の文明がこの惑星の主流となっているというSF的未来予測も成り立つ。リアルに設定した場合、果たしてスタートレックの乗組員は英語を話しているだろうか?
そんな問いを私は有益なものと考えているのだ。
山賀博之
1962年新潟市生まれ。大阪芸術大学芸術学部を中退し、アニメーション制作の株式会社ガイナックスを設立。同社の代表作である『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(監督・脚本)や『新世紀エヴァンゲリオン』(プロデューサー)をはじめ、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(サンライズ 脚本)、『ピアノの森』第2シリーズ(ガイナ 監督)など多くのアニメ作品に関わる。
現在、還暦。フリーライター。新作「蒼きウル」を鋭意制作中。自称「世界奢ってもらう選手権第一位」「大馬鹿者が好き」。
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