【市町村長リレーコラム】第3回 新潟県五泉市 田邊正幸市長「明日、そして将来へ魅力ある五泉市へ 五泉のトップセールスマン田邊正幸」
新潟県内30市町村の首長に、地域での取り組みや課題、首長としての想いなどをコラムで寄稿いただき、次に寄稿いただく首長を指名いただく「市町村長リレーコラム」。
第3回は、阿賀町の神田一秋町長からバトンをつないでいただいた、五泉市の田邊正幸市長のコラムをお届けします。
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五泉に生まれて
五泉市は五つの泉と書くとおり、良質で豊富な水資源に恵まれ、古くから絹織物の産地として知られていました。社会が変化する中、戦後めざましい発展をみたニット産業は全国的な産地となり、「Gosen Knit」ブランドのグローバル展開に取り組んでいます。
また、五泉から見て、東から鳴沢峰、菅名岳、大蔵山、川内の山々、南は白山そして西は菩提寺山、高立山、護摩堂山いわゆる西山三山が新津丘陵と続き、山紫水明、緑豊かな山々や仙見川、早出川ほか清らかな川の流れ、肥沃な大地などの自然の恵みの中で、全国的に有名なチューリップ、ぼたん、さといも、れんこん、長ねぎ、栗、ぎんなんや養殖鯉など数多くの特産を生み出しています。
そのような環境の中、私は西山三山の菩提寺山の麓に生まれ、地元の橋田小学校、中学校を卒業し、隣りの市の新津高校へ進学しました。五泉の小さな集落生まれの私は井の中の蛙大海を知らずまま、自分なりに勉学、部活動など高校の青春を謳歌しすぎて一浪を経て早稲田大学へ進みました。東京進学は住居費、学費等経済的に負担増がわかっていましたが、一浪なら早稲田と心に決めていて、新潟大学を望んでいた両親には大変申し訳ないことをしたと思っています。
実は今回の市町村長リレーコラムを紹介いただいた阿賀町神田一秋町長は私の母の実家の目の前のお宅で、私は幼いころ母に連れられて中ノ沢をよく行ったものでした。私はこの中ノ沢のDNAを有し、いわば山奥の小さな集落中ノ沢から二人の首長が誕生したわけで、神田町長には隣り町の誼以上に親近感を持ち大変尊敬をしております。
人づきあいが比較的好きだったせいか、高校、大学時代と友達の輪を広げ、社会人でさらにネットワークを広げたと思っています。早稲田大学教育学部国語国文学科でも、勉学はほどほどにアルバイトに力を入れ大学の青春を謳歌しました。親戚が西武沿線に住んでいて最初は所沢に下宿させてもらい、その後、江古田、大泉学園と西武沿線で暮らし、大の西武ライオンズファンということもあり、西武の観光部門のプリンスホテルへ入社しました。
入社後は高輪、軽井沢、新高輪、幕張でベルボーイ、宴会サービス、レストランサービス、宿泊予約などの実習、研修ののち、西武の本山、原宿駅前の国土計画(コクド)ビル勤務となり、約10年弱、いわゆる宮仕えをしてきました。以来、現場と本社また日本観光振興協会への出向など西武・プリンスホテルでの30年間は新旧の西武の表、裏舞台を身をもって経験し、国内外の要職勤務そして西武での最後の奉職となった2020東京オリンピック・パラリンピックの営業責任者として貢献できたことは何よりのことだったと感心しています。
故郷への恩返し
私が突然、会社を辞め故郷へ戻り市長へ立候補するのか、多くの友人や知人、また何十年も交流もなかった地元の皆さんから質問を受けました。また、現職や市議会議員が立候補する中で一番知名度なく無謀でないかと叱責も受けました。私は人生の大半を五泉にいなかったわけですが、五泉の発展のためPRのため勝手連で応援し、五泉愛は誰にも負けなかったと思います。
新型コロナウィルス感染拡大により地元経済や市民生活が低迷していると地元に住む父や友人から聞き、いつかは生まれ故郷の五泉に恩返ししなければいけない、森鴎外の小説「妄想」にある所詮、自身の根はどこにあるのか、いつまでも根なし草のようになってはいけない、五泉市以外の外から見た目、考えをもった人、民間の経験こそが閉塞感のある五泉を打開できるのだと熟慮し、家族に相談することなく会社を辞め退路を断って五泉へ戻りました。
選挙がちょうど1年前の1月23日にありましたが、1年遅れの2020東京オリンピック・パラリンピックが終了し、10月初めから実質3か月強の活動を展開しました。後援会等の組織があるわけでもなく、最初は新津高校の同級生、先輩後輩や中学校同級生数名が半信半疑でお手伝いいただき、私が方々を自転車で巡り、またプリンスホテル時代に中国吉林省でお世話になった営業先の新潟県出身の方が五泉の知人へ声をかけていただき、紹介の輪を広げていきました。
とは言っても人口4万8千人の中で爆発的に知名度が広がりません。ここは今まで培ったビジネス、マーケティングの観点から田邊正幸という商品をもっと売れるようにするため考えることにしました。一つは日常、新聞の折り込みチラシが市民の情報源になっていること、もう一つは人と人の口コミ、若い人へはSNS、動画での露出だと、限りある時間を戦略、戦術を練り直しました。その際、何も見返りも求めず熱心に草の根運動を展開していただいた数名の方には今でも心より感謝しています。五泉で初めてお会いした方でしたが、私の分身のように各地をめぐり田邊正幸を売り込んでいただきました。
私は明日、そして将来ある新しい五泉へを旗印に、世代交代、次世代創造、新しい時代に新しいリーダー、五泉の外から見た民間からの考えを活かした市政運営を最後まで訴え、3人の候補をおさえ初当選を果たすことができました。
五泉に新しい風
1月29日で市長就任1年となります。就任早々、新年度(4年度)予算編成というよりも市長による予算査定が始まりました。時期が時期ですが、各課から編成された予算案を私が鋭意、ヒアリングや査定が行いました。前職での予算編成とは全く違い違和感を覚えましたが、経常的な支出、市民生活への影響を最小限に事業の優先順位や効果等を勘案し、また平成29年度から第2次総合計画に基づいた、子育て、教育、安全安心な暮らし、産業の活性化、生活環境の整備など多岐にわたる施策や、私が選挙に掲げたテーマで特に重点とした防災や交流人口の拡大等を加味し予算編成としました。
就任し1か月もたたない2月24日、新年度予算を審議する市議会議会が開会しました。前職で本部営業部長や講演会の講師を務め人前で話すことは慣れているとはいえ、政治の舞台の議場での演説は今までにない緊張でした。施政方針、予算概要を40分にわたり説明をしました。新年度予算は私が目指す、市民の誰一人も取り残さない社会の実現に取り組み、この「誰一人取り残さない」は国連が定めるSDGs(持続可能な開発目標)の基本理念であり、持続可能でより良い社会の実現を目指す世界共通の目標であり、五泉市においても市民の皆さんの理解を得ながら各施策を取り組み、市民の声を大切にし「訪れてよし・住んでよし」の新潟県ナンバーワンのまちをつくるために魅力的であり続ける新しい五泉市へまい進していくことを誓いました。
5つのまちづくりのテーマを5つの泉にかけて、「笑顔あふれる、いきいきのまちづくり」「信頼あふれる、安全安心のまちづくり」「交流あふれる、ふれあい豊かなまちづくり」「にぎわいあふれる、活気あるまちづくり」「うるおいあふれる、快適なまちづくり」そして「市民協働と信頼による自立したまちづくり」を力強く取り組んでいきます。
また、民間、ビジネスのノウハウとしてPDCA(計画→実行→評価→改善)サイクルをすべての事業で回し、事業の進捗管理を確実に行い、無駄のない執行を努めていきます。
就任1年を迎え
私が市長として明日そして将来に輝く五泉市のまちづくりを担ってから1年になります。学校の通信簿ではありませんが私の評価はいかがでしょうか。市民の皆さんからの「新しい五泉市」への期待の大きさに重責を感じ、あらためて身が引き締まる思いです。
人口減少対策は喫緊の五泉市の課題であり、移住定住につながる交流人口、関係人口の拡大に向け、新しい着想と発想をもって活気あふれるまちづくりに尽力するとともに、子どもから高齢者まで切れ目のない施策を引き続き展開し、市民の皆さんが住んでいてよかったと誰でも実感しながら暮らせるまちの実現に一層の努力をしていきます。
花のまち「ごせん」へ
これから春に向かい、五泉は花のまちになります。雪が解け始め3月中旬に水芭蕉が咲き始めるのを端緒に、日本さくら百選の村松公園の桜、4月中旬には巣本地区の見事なチューリップ、5月中旬に日本二大産地のひとつの百種百花のぼたん、しゃくやくが咲きます。7月の東公園の古代蓮も見ごたえがあります。
令和3年10月オープンの複合施設「ラポルテ五泉」は五泉のランドマークであり五泉市内観光のゲートウェイでもあります。来て「見て、食べて、体験して、楽しんで、買って」帰って、春夏秋冬に訪れてよしの花のまち・五泉市へぜひお出かけください!
【市町村長プロフィール】
五泉市長 田邊 正幸(たなべ まさゆき)。新潟県五泉市出身。1968年5月24日生まれ、1992年早稲田大学卒業、プリンスホテル営業部長、西武トラベル取締役、西武シンガポール代表、プリンスホテルUSA代表、吉林西武董事、ロングスティ財団理事、日本コンベンション協会理事、2020年新潟県観光立県推進行動検討委員会委員、日本観光振興協会広報担当部長(出向)、日本ホテル協会東京支部事務局長ほか歴任。趣味は、登山(日本百名山51座登頂)、読書。影響を受けた人は、上杉鷹山、後藤高志氏。影響を受けた本は、マックス・ヴェーバー「職業としての政治」。座右の銘は、温故知新。
◎次にリレーする市町村長(田邊市長からのコメント)
湯沢町の田村正幸町長をご紹介します。字のとおり、「村」と「邊」の違いだけです。前職で苗場プリンスホテルでの営業会議にて湯沢町長と一字違いが判明。その後、観光関係の会合でご挨拶し、まさか私が五泉市長になって会合でお会いするとは思いもよりませんでした。湯沢町はスノーリゾートからオールシーズンリゾートへの取り組みや、首都圏から一番近いまちとして常に何か挑戦し続けており、見習うことが多いです。湯沢のように人を呼び込むまちになれるように元気あふれる田村町長に追いつけるように努力していきたいと思います。田村町長、今後ともご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします!
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