【三浦展の社会時評】 第4回 「ポップとストリーミング」
最近は1970年代から90年代の日本のシティポップが世界的に人気である。その理由はインターネットでストリーミングやyoutubeで手軽に外国の別の時代の音楽を聴けるようになったからだと説明されることが多い。
しかしインターネットは促進要因であって本当の条件ではない。水をやったら芽が出てきたというときの水がインターネットであって、そもそも土に種が埋まってなければ芽は出ない。ここで土に当たるのは社会の豊かさである。旧石器時代と変わらない暮らしをしている人や、一日のほとんどを重労働をして疲れ切っている人に、シティポップを聴かせてもおそらく流行らない。
中国、台湾、マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナムなどなど、開発途上国、新興国だと思っていた国々が急速に経済発展し、中流階級が増えたということが土である。
豊かになると都会的なおしゃれで洗練された音楽が聴きたくなる。でも自分の国にはそういう音楽を作れる人があまりいない。そこでストリーミングやyoutubeを聴くと、昔の日本に今の自分たちの気分にぴったりの音楽があった、というわけだ。
誰もが中流になり、そこそこ豊かな社会というものが日本に実現して生まれた音楽がシティポップである。そういう音楽は1930〜50年代のアメリカと70〜90年代の日本でしか生まれていない。フランスやイタリアにも少しはあったかも知れないが日米の比ではない。アメリカの場合はポップスというよりスイングジャズを産んだと言ったほうが正しい。50年代のポップスもジャズとロックンロールの融合であろう。そういうアメリカの音楽と比べても、日本のシティポップは都会的なおしゃれで洗練された雰囲気がするだろう。
おかげで東京などの中古レコード屋にはアジアから買い付けに来る業者がたくさんいる。人気のLPは何万円もする。だが中古レコードが売れてもレコード会社の売上げにはならないし、ミュージシャンには印税が入らないので、最近はレコード会社が改めて昔のレコードを再発しているほどである。
私はアナログ派なので、特にジャズはLPで聴く。だがLPは置き場に困るので、最近はストリーミングも併用している。クラシック、ロック、ポップスなどはほぼストリーミングで聴く。
ストリーミングで聴く場合、アマゾンならアマゾンにお任せしておくと、次々と知らない曲が流れる。驚いたことに一日中聴いても苦手な曲、不快な音楽が流れない。自分の好みそうな、でも知らない音楽が見事に流れてくる。まったく驚きである。AIはどうやってそういう音楽を選び出すのか。どれか1曲を何度も聴くと、それに近い曲を選んで流してくれるのだろうか。
たしかにそれは便利だ。しかし私は50年間レコードを買ってきた経験から言うと、私が主体的に選んできた音楽はアマゾンが勝手に流すような快適な音楽だけでなく、不快な音も含む音楽であった。いや、そのほうが多い。ロックは当初は不快な音楽だと思われたし、ビートルズすらそうで、60年前はゴミ音楽呼ばわれした。ハードロック、ヘビーメタルになれば、嫌いな人には騒音でしかない。
ジャズ史上のレジェンドであるジョン・コルトレーンなどはまさに不快な音によって彼独自の魂の芸術をつくりだしたとすら言える。それ以前のスタンダードジャズを演奏していたときの、心にしみるバラードの演奏は今も人気が高いが、コルトレーンが歴史に残るのはそれらの演奏によってではない。ずっと壁に向かって練習をしているのかと思われるような音が聴く者の心をえぐる、そういう音楽をコルトレーンが創造したからこそ、彼は歴史に永遠に残る。
キース・ジャレットも1970年代の音楽は不協和音が多用されている。今のキースはスタンダードジャズを弾くことが多いが、彼の真骨頂は1970年代のフリージャズ的な音楽である。そしてその70年代の音楽は実は晩年のスタンダードジャズのアドリブにも生きているのだ。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスが、「オレが一緒に演奏した中で最高のミュージシャンはキースだ」と言ったそうで、たしかにマイルスのような絶えざる実験精神を最も受け継いだのがキースだと私は思う。
快適な音楽だけを人任せにして聴くだけではあまりにも主体性がない。自分で選ぶ自由を捨ててはならない。快適な音楽はファストフードと同じで手軽である。ストリーミングでサブスクリプションで聴けば、値段もただ同然だ。その意味でもストリーミングで聴く音楽はファストフード的だ。音楽自体が素晴らしくても音楽を聴く態度がファストフード的なのだ。
いつでも気軽に音楽が聴けるようになったのだから、AI任せにしないで、どんどん知らない曲を選んで聴くべきである。
Youtubeでも知らない音楽、知らない映画をどんどん視聴するべきである。昔のようにCDやLPをお金を出して買わないといけない時代なら、わざわざ理解しにくい音楽を聴くのは勇気が要るし、お金も無駄になるかも知れないが、無料なのだから、未知のものに挑戦する金銭的なリスクはない。わかりにくい、理解できないものにもどんどん挑戦するべきである。
1958年新潟県上越市出身。82年一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。86年同誌編集長。90年三菱総合研究所入社。99年カルチャースタディーズ研究所設立。消費社会、世代、階層、都市などの研究を踏まえ、時代を予測し、既存の制度を批判し、新しい社会デザインを提案している。著書に『下流社会』『永続孤独社会』『首都圏大予測』『都心集中の真実』『第四の消費』『ファスト風土化する日本』『家族と幸福の戦後史』など多数。