「政府観光局(JNTO)バンコク事務所で勤務したころの話」新潟県元副知事・中国運輸局長 益田浩

4月となりました。新しい年度の始まりですね。広島では既に桜が満開を過ぎていますが、新潟ではどうでしょうか。新潟県庁への通勤時に、信濃川土手の桜並木を綺麗だなぁと思って眺めていたことを思い出します。今年は久しぶりのお花見も楽しめましたね。そういえば、2月26日、エディオンスタジアム広島にサッカーのアルビレックス新潟が登場、ホームのサンフェレッチェ広島を相手に先制、追加点と常に優位に立ち、広島の反撃を1点に抑えて、見事、勝ち切りました。新潟らしい、スピード感ある堂々とした戦いぶりだったと思います。というと、あたかも私が実際にスタジアムのアウェイ側で応援していたかのようですが、残念ながら、同日は習いごとである杖道の昇段審査と重なり、観戦できませんでした(無事、四段に合格しました。)。次の機会は逃したくありませんが、いつ巡ってくるのやら。

第6回目は観光の続きです。今回は日本政府観光局(JNTO)バンコク事務所で勤務し、タイ、フィリピン、ベトナムなどからの訪日旅行者(インバウンド)誘致に努めていた3年半について書きたいと思います。現在は、フィリピンやベトナムにもそれぞれJNTOの事務所が設けられていますが、私の赴任当時は、東南アジアにはバンコク事務所とシンガポール事務所しかなく、バンコク事務所でタイ、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーなどの担当をしていました。2010年2月のタイ・バンコクへの赴任も、新潟県への赴任と同様、突然決まりました。海外への赴任のため、さすがに新潟県への赴任のような2週間前ではなく、実際の赴任から2ヶ月強ほど前、前年11月末に意向打診がありました。私はもともと欧米の日本大使館勤務を希望しており、また、JNTOバンコク事務所長のポストはこれまでJNTOのプロパー職員が務めていたことから、異動先として念頭にありませんでした。人事担当者から「年明けから1年でも良いから、タイ・バンコクに行けるか?」と打診があったときは、「本当ですか?」という怪訝な顔をしていたと思いますが、どうやら冗談では無さそうです。当時は翌年4月から小学校入学を控えていた長女やまだ2歳の長男を抱えており、「タイに行くのかぁ、大丈夫かなぁ」という不安が湧いてきましたが、結婚後、私のイギリス大学院留学時の同級生であるタイ人を訪ねて、妻とバンコクに旅行したことがあり、少しでも知っている地域ならいいかと決断しました。新潟と同じく、夫婦で旅行したことがある土地というご縁が決め手となったのです。

それから渡航までは、引越の荷物を整理したり、A型肝炎、B型肝炎、狂犬病、日本脳炎、破傷風などの予防接種をしたり、と慌ただしく過ぎていきます。子供の生活環境を考えて、タイでの生活が落ち着くまでは単身赴任をすることとしたため、まだ幼い子供達に後ろ髪を引かれつつ、日本を離れました。今では笑い話になりますが、タイで日本食が食べられないかもしれないと、スーツケースに醤油の小瓶を潜めていたり、バンコクでは象が普通に道端を歩いているのだろうと想像したりと、タイでの生活のイメージができないまま、赴任しましたが、実際には、バンコクは東京並みの大都会で、日本食レストランは至る所で見かけましたが、もちろん象は歩いていませんでした。

タイと日本の時差は2時間、タイの空港に到着すると、東南アジア独特のもわっとした熱気に包まれます。タイ名物の交通渋滞に巻き込まれながら、今日からタイでの生活が始まるのかという緊張感と高揚感を感じたことを思い出します。到着後に歓迎会で連れて行ってもらったソンブーン本店は、その後、何度も通うことになりますが、その日に食べたプーパッポンカリー(蟹カレー)は今でも大好物です。

着任した2010年頃、タイは政情が不安定でした。タイで絶大な人気を誇ったタクシン首相が2006年に失脚して以降、タクシン元首相派と反タクシン元首相派との間で抗争が繰り返されており、クーデターやデモ、暴動が頻発していました。2008年11月、反タクシン元首相派によりスワンナプーム国際空港が閉鎖され、2009年4月には、タクシン元首相派の反政府デモにより、パタヤで開催予定だった東アジア首脳会議が中止に追い込まれています。私自身、着任の翌月からバンコクを中心とする政治騒乱に巻き込まれて、バンコク事務所を閉鎖したり、一時移転したりと、大変な事態となったのですが、着任時には知る由もありません。

2009年の訪日旅行者数は、タイから17万8,000人、シンガポールから14万5千人と、当時からタイの方が多かったのですが、着任後に調べてみると、上記のようなタイの政情不安やタイ語の難解さから、日本では、東南アジアのインバウンド市場の中心は、タイではなく、英語圏のシンガポールと考えられていました。地方公共団体や観光団体によるインバウンド誘致のプロモーション活動や2月の近接した時期に両国で開催される旅行フェアへの出展において、タイが素通りされ、シンガポールに集中している現状を目の当たりにしました。自分の赴任期間のうちに「東南アジアのインバウンド市場といえば、タイ」と言われる成果を出すと張り切っているうちに、バンコクの政情が怪しくなってきました。ここからは次回とします。

益田浩

昭和61年3月私立修道高等学校卒業、平成3年3月東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種(法律)合格。平成3年4月運輸省採用。平成9年7月運輸省大臣官房人事課付(英国ケンブリッジ大学留学国際関係論)、平成27年7月自動車局自動車情報課長、28年6月大臣官房参事官(税制担当)などを経て、29年7月新潟県副知事。令和2年7月内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官、令和4年6月国土交通省中国運輸局長。

 

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