【文明論】第5回「バロック」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)
多くの人は、バロックという言葉を聞くなり目にするなりしたとき何を思うだろうか。パイプオルガン? 金ピカの内装? ゴテゴテした絵画? そういえば、それを“中世風の何か”みたいに年代を間違えている人もいた。
一般的なバロックの守備範囲は、美術と音楽の教科書に載っているのが全てだろう。私もべつにその方面の信奉者ではないので、大枠ではそんなもんだと思って生活している。金ピカにもゴテゴテにも異論は無い。
バロック。実はこの言葉、使われるようになった歴史は、その多くの人の想像よりもかなり新しく、19世紀も後半になってから評論家が命名したものだ。だから、現代ではバロック芸術の巨匠として教科書に並んでいるベルニーニもカラバッジョもバッハも当人たちからしてみれば、自分が死んだ数百年後にそんな変な名前のグループにくくられるだなんて知る由も無かった。
ある意味、19世紀というのはヨーロッパ文明の総決算の時期と言える。そのスタートをギリシャ・ローマ時代とするか、カール大帝の時代にするか、いろいろと諸氏考えはおありだろうが、ヨーロッパ人の当事者が自分らの興した文明の歴史と意識的に向き合い、彼らの言語で総括したのはこの前々世紀で間違いない。
文明と言っても、芸術、風俗、科学、思想、宗教… 無数の角度で切ることができ、様式としての分類方法も同様に無数に考えられることは承知の上、この19世紀の総括からは、私の物語作者としての作業上の分類である「ゴシック」、「古典主義」そしてこの「バロック」の特徴をはっきりと読み取ることができた。
中でも「バロック」という角度から見たヨーロッパ文明は人間の精神として最もグローバルであり、私は他の国にも通じる普遍性を感じている。
お気づきのように、ここでいう「」無しのバロックが過去にあった創作物の様式を示しているのに対し、「バロック」は、現在の視点からの、それらを生み出してきた世界観を含んだ概念として書いている。
バロックとはどんなのを指すのか? という単元冒頭の話に戻るが、ざっくりと言ってしまえば、風が吹いているある瞬間。だ。これは絵画作品ならば分かりやすい。ルーベンスなどがよく使うモチーフに見られる、布がふわっと空気をはらんで宙に舞っている一コマ。あるいは光が一度だけ見せた輝きと陰影。不可逆に変わりゆく全世界の中で、自分にだけ与えられた生命の一粒を愛でるような、消えゆく対象と消えゆく自分が織り成す永遠の一瞬。それを表現した様式である。
古代ローマの時代から、よく知られているラテン語の短い文言がある。メメント・モリ=常に死を思え。だ。これともう二つ、ヴァニタス=人生は虚しい。カルペ・ディエム=その日を摘め。のセットでバロックの精神を表す三大標語のように言われている。
これとて、思想として整えられた歴史があったわけではなく、後に初期バロックと定められた16、7世紀に流行っていた気分のようなものらしいのだが、単に当時の人々の思いということだけではなく、バロックが芸術の一様式にとどまらない人間普遍のイズムであることを、この三つが端的に表している。
メメント・モリとヴァニタスは、だいたい似たような意味で、仏教でいうところの諸行無常。つまり、いつまでもあると思うな親と金。& 自分の命。といったところで日本人にも理解しやすいが、カルペ・ディエム=その日を摘め。というのはさすがに翻訳としても無理があるし、何を掲げているのかさっぱり分からない。
要旨をもう少し長い文で説明すれば、その日というものが野に咲く花のように儚く美しいから、それが消えてしまう前にさっさと摘め。と言っているのだ。これはかなり特徴的な感覚に思える。
同じ時代の日本では、庶民の生活にまで定着した仏教で、諸行(何もかもが)無常(変化してゆく)を見据えたときに、それゆえ物事に執着してはならない。という風になってゆくのだが、どうもヨーロッパではそこが違っていたようだ。
もちろん日本でも芸術や芸能の世界では、ここまで明確な標語にはされなくても、散りゆく桜の花に寄せる感情にも見える通り、ある瞬間を美として愛しむことには盛り上がっていたし、絵の分野など、ヨーロッパ文明の波が押し寄せる直前の文化・文政時代の浮世絵では、まさに華やいだ一瞬を切り取ったかのような作風が究極に達していた。
それゆえ、この精神にも普遍性はあると思うのだが、やはり言い切りの文言となっていればプレゼンでの訴求効果も高い。バロックの名で後の世に呼ばれる芸術運動は、カトリック教会や王侯貴族を財源として際限なく巨大化し、派手で装飾的になっていった。
その結果の金ピカ、ゴテゴテであるが、これまた同時代、徳川幕府を財源として建てられた日光東照宮の陽明門とそれらを見比べると、同じ金ピカ、ゴテゴテであっても、むしろバロック建築の方にアイロニーというのか、その強烈な光の中に諸行無常の儚さを感じるのは私だけだろうか。
滅びゆく者が摘んだその日の花でしかないバロックは、時の流れにより蓄積する因果とは別の世界で存在している。ここで行われることは多くの資源とエネルギーを使いながら、腹を満たすとか安全に暮らすなどの実用にはまったく役立たない。だからこそ文明の最も華やかな部分であり、野蛮な社会では考えられなかった余剰の人間活動なのである。
文明の本体である「古典主義」の組み立てた社会で実用的な資源とエネルギーを得られるようになった人間が、その生産の反動としての「ゴシック」では解決不能な問題、生きる意味そのもの。を自分の主である文明に要求した成果である。
平日に対する休日。労働に対する余暇。社会としての生産が苛烈であるほど、この部分は重要度を増す。それは、文明が行き詰った現代、21世紀では余暇という言葉がまったく似合わぬほど必須のものとなった。
私がここで「バロック」としているのは、このようなものである。それは決して400年前に遠い外国で起こった流行などではない。好むと好まざるとにかかわらず、ヨーロッパ発祥の文明が山の上まで行き渡った今の日本だからこそ、有用性のある思考モデルではないかと考えている。
実用的な意味での文明と野蛮の間に作られてきた社会が、我々にとっての唯一の生きる場所であるとしたら、それはあまりにも殺伐としていて殺風景なものだと思う。そこには原因と結果のみがあり、常に効率の良い最適解が求められている。
そんな世界で大人や友人たちに人間が生きる意味を聞いてみたらいい。ただ嘲笑されるか、心配されて妙なことをしでかさないよう監視されるのがオチだろう。でも、そこで文明を否定してしまうのは勘違いだ。
とりわけ日本での西洋化(前世紀には文明化とさえいわれていた)の変遷を見てみると、社会の生産性に関わる国家的な流れと、風俗、文化などの市民的な流れにくっきり分かれている。国家的な方は時代を経るごとにどんどん禁欲的な硬直化へ向かい、市民的な方は逆に享楽的に弛緩していっているように見える。
言うまでもなく、そのどちらもが幸福を追い求めて積み上げてきたことであって、本来、分けて考えられるはずのない同根のものだ。その緩い方を担当している私の思い描く社会のモデルは、国家的な、というか公的な規範とはだいぶズレているみたいだ。
「バロック」はそのズレを機能として持っている。それはイリュージョンであり、非現実のものであり、角度によっては狂気とさえ見える。「古典主義」エリアを担当している人から見れば、生産性の向上にはまったく寄与せず、不要で一掃すべき混乱だろう。
だが忘れてはならない。古来、痴れ者は城に必ず備えなければならない機能の一つだった。公的と考えられている規範とのズレの中にこそ多くの市民が生息している。ここは決して地下や河原などではない。最も賑わう街の一等地なのだ。
そんな人々の生きる意味とは何か? 「バロック」は、その瞬間の美しさにある。と答える。その人が摘んだその日の花だ。
たとえ、それが古典が規定した美のパターンであったとしても、美しさを感じたその感覚は身体に起こったことで、公的な規範とは離れた個人の体験だ。この美しさが自動的に個人の内的世界を生成する。その人が認めた花の価値はその世界の価値となり、その価値がその世界を生成した人の生きる意味となる。
ところで、人間はニュートラルでは居られない。自分が属する文明による古典がすべての価値を規定し、よほど特殊な環境で暮らさない限り、文明人はその規範の中で生きている。では、個人の内的世界と、その公的な規範とはどのような関係で結ばれているのだろうか。その全体像の形を自分なりに考えてみた。
19世紀のスイスの評論家が、16世紀から18世紀の西ヨーロッパに盛んに見られた芸術様式を、バロックと命名したのはある形に基づいていて、それは歪んだ真珠から来ている。(諸説あり)
16世紀、あのミケランジェロ(じつはカラバッジョも同名だ)の時代まで続いたルネサンスは、自然の中に完全な形を見出そうとする極めて学術的な様式だった。こちらを象徴していた形は真円。それに対する楕円が、次の世代であるバロックに与えられた形だった。
しかし、静的なモデルを持っているルネサンスから生まれたからといっても、そこは卵と雛のようなもの。やはりバロックは動的なモデルで表すのが相応しい。
そう思って楕円の形を動的に眺めたとき、やはりこの時代の天文学者ケプラーが思い浮かんだ。そして、真円を引き伸ばしたアポジ(遠点)部分に、重力によるスイングを感じていた。
まあ、インスピレーションというのは説明不能で唐突にやってくるものだが、この時分、一緒にこの手の話をしていた友人から「子どものころ何よりも一番好きな遊具はブランコだった」という話が飛び出した。
そして、途中経過の説明はまったくできないが、一気に、あの児童公園に置かれたブランコが、「バロック」の全体像をその動的なモデルで表している。という考えに至ったのである。
ブランコの支柱は公的な規範であり、そこから吊り下げられた小さな板が個人の内的世界にあたると言いたいわけだが、このままじゃ、伝わらない現代美術の抽象造形の一種かもしれない。
だがどうか、理屈ではなく感触で捉えて欲しい。野蛮な荒野(泥沼かもしれない)に立てられた文明という外国製の立派な柱が、正しく真っすぐ天に向かって伸びている。その高いところから安全にがっちりと鎖に繋がれ、墜落を免れた「私」が揺れている。
風を切って加速し、減速、停止し、逆方向へ加速し、また減速、停止。この移動を繰り返しながら上下もする。でありながら、支柱からの距離は変化せず逸脱しない。地の底へ呼び込む重力は生物としての欲望か、業というパワーか?
「私」は文明人としての安全を捨てることなく、文明の古典の社会の公によって決められた規範から離れた形で、個人が持つ自由の感触だけを味わうのだ。それが、ヨーロッパ文明に備わった機能の一つ、「バロック」なのではないか。
もし、ブランコの実用性や効率を問う人がいたら何と答えるか。(私の父は問うかもしれない)そもそも余剰が生産のシステムに必須であることを実例を挙げて説明するか?
いや私は、「自然が理不尽に見えることもある。一生遊ぶ人を生かすために一生働く人もいるのが人間という種の歴史である」と答えよう。ヨーロッパでバロックが完成したのは、あのマリー・アントワネットの時代なのだから。
近所の児童公園で、子どもたちがみんな帰ったのを確かめてブランコに乗ってみた。何十年ぶりだろう。日も暮れて公園の街灯が点くと映画『生きる』の主人公のような絵面になったが、そんなものを吹き飛ばす勢いで、いきなりガンガン漕ぎだしだ。
夕暮れ時といっても、前方の池、その向こうの林、薄曇りの空もまだはっきり見えていて、上下前後を繰り返す自分の主観からは、それら全部のパースが変化して歪み、その映像がループし続け、記憶していた以上の眩暈を感じる。
昭和の子どもならば、ここでパッと鎖から手を放し、空中へと身を踊らせるのだろう。その誰もが持つ衝動はこのモデルではどう説明するのだろう。
そして、さらに決定的な疑問が浮かんだ。飛び降りた先に着地する地面はあるのだろうか?
1962年新潟市生まれ。大阪芸術大学芸術学部を中退し、アニメーション制作の株式会社ガイナックスを設立。同社の代表作である『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(監督・脚本)や『新世紀エヴァンゲリオン』(プロデューサー)をはじめ、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(サンライズ 脚本)、『ピアノの森』第2シリーズ(ガイナ 監督)など多くのアニメ作品に関わる。
現在、還暦。フリーライター。新作「蒼きウル」を鋭意制作中。自称「世界奢ってもらう選手権第一位」「大馬鹿者が好き」。
【過去の連載】
【文明論】第1回「駅裏」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)
【文明論】第2回「みちのく」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)