新潟ゆかりの文学者たち(9)ドナルド・キーン 『ドナルド・キーン自伝 増補新版』(2019年3月改版 中公文庫)  片岡豊

ドナルド・キーンの名前を見て「えっ? 新潟ゆかりなの?」と首を傾げる人も多いかも知れません。『ドナルド・キーン著作集 別巻』(2020年2月 新潮社)所収の「年譜」を見ると、2009年の項に「6月、300年ぶりの復活上演を提案した古浄瑠璃『越後国:柏崎 引知法印御伝記』が越後猿八座により柏崎で初上演、三味線と語り:越後角太夫(上原誠己)」と記載されています。ドナルド・キーンの提言と多くの市民の協力もあって実現したこの古浄瑠璃の復活上演を機にキーンと柏崎の縁が深まり、2007年7月に発生した中越沖地震から立ち直る柏崎市民をドナルド・キーンは励まし続けたのです。

その後、2011年3月11日の東日本大震災・福島第一原発事故を契機に日本への帰化を決意したドナルド・キーンは2012年3月、日本国籍を取得、また古浄瑠璃上演にあたって三味線と語りを担った上原誠己氏を養子に迎え、長きにわたって日本文学研究に携わった生涯の最晩年を「日本人」として過ごすこととなりました。このような縁があって2013年9月、ブルボン吉田記念財団が「ドナルド・キーン・センター柏崎」を開設。今年、10周年を迎えています。同センターでは開館10周年記念特別企画展として「未来への伝言 高橋義樹、ドナルド・キーンの太平洋戦争」が開催されています(4月1日~12月24日)。

2019年2月24日、満96歳で他界したドナルド・キーンの生涯を振り返ってみましょう。彼は、リトアニア生れで貿易商を営む父とマンハッタン生れでフランス語で詩作をたしなむ母との間に1922年6月18日に誕生します。その後生まれた妹は早世。14歳の時に両親が別居。彼はその後母と暮らします。ドナルド少年は、運動は苦手でしたが小学生の頃から学業優秀で飛び級を重ね、16歳で奨学金を得てコロンビア大学文学部に入学。フランス文学・ギリシア文学を専攻しました。その後アーサー・ウェーリ訳の『源氏物語』と出会い、日本語・日本文学への関心を深めました。

その折りしも、日本軍による真珠湾奇襲攻撃で太平洋戦争が始まり、1942年2月、満19歳でコロンビア大学を卒業した彼は、日米開戦に伴って開設された海軍日本語学校に入学。翌年1月卒業後海軍通訳官(中尉)としてアッツ島、キスカ島で任務に着き、ホノルル帰還後は捕虜収容所で多くの日本人捕虜と関わることとなりました。高橋義樹もその一人だったのです。1945年4月1日に、グアム、サモア、レイテ島を経て沖縄に上陸。8月15日はグアムで迎えます。戦後は中国で戦犯調査の任に当たりますが、いたたまれずに11月除隊。焼け野原となった東京に立寄り、日本人捕虜から託された手紙を家族に届けて帰国の途につきました。

帰国後はコロンビア大学大学院、ハーバード大学大学院で日本文学研究を重ね、「近松門左衛門『国性爺合戦』の研究」で学位取得後英国のケンブリッジ大学に転じて日本語や韓国語・日本文学の講師となり1953年には京都大学に留学します。1955年に母校コロンビア大学に着任。その後は米国と日本を往復しながら日本文学の研究・翻訳に従事します。それも古典から現代文学に至るまで幅広い分野で研鑽を積み、その成果は『ドナルド・キーン著作集』(全15巻・別巻1 新潮社)としてまとめられています。

ドナルド・キーンがハワイの捕虜収容所で出会った高橋義樹は1917年1月29日島根県生れ。日大芸術科で小説家・伊藤整に学び、同盟通信の記者となりましたが1944年3月、海軍報道班員としてサイパンに渡り、5月にはグアムへ移動。その年の10月に捕虜となってハワイの収容所でドナルド・キーンと出会うことになります。1946年に帰国後共同通信(旧同盟通信)に復帰。文芸記者として働く一方で、堀川潭の筆名で戦争体験・捕虜生活を素材とした「運命の卵」「第三交響曲」などの短編小説を著し、戦後現代日本文学を代表する作家となっていた伊藤整とも師弟の間柄を深めていました。1954年4月1日、日本ペンクラブの例会に伊藤整とともに参加していた高橋義樹は、京都大学留学中のドナルド・キーンと9年ぶりの再会を果たします。伊藤整をドナルド・キーンに紹介したことは言うまでもありません(2021年3月平凡社刊『伊藤整日記1』によれば6月1日)。その後ドナルド・キーンは伊藤整を通じて日本文壇の多くの人びとを知ることとなり、また双方の仕事に多大な影響を与え合うことにもなるのです。高橋とキーンとの再会の様子は『伊藤整氏との三十年』(堀川潭1980年2月 新文化社 なお、高橋義樹はこれを書き上げた直後の1979年2月4日に癌で逝去)の一節に活写されています。

ドナルド・キーンの自伝を読み、また現在開催中の企画展「未来への伝言 高橋義樹、ドナルド・キーンの太平洋戦争」に足を運ぶことで、さまざまな「縁」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

現在開催中の企画展「未来への伝言 高橋義樹、ドナルド・キーンの太平洋戦争」のポスター

片岡豊

元作新学院大学人間文化学部教授。日本近現代文学。1949年岐阜県生れ。新潟県立新津高校から立教大学文学部を経て、同大学院文学研究科博士課程満期退学。現在、新潟県上越市で「学びの場熟慮塾」主宰。

 

【過去の連載記事】

新潟が生んだ近現代小説家(1)坂口安吾『風と光と二十の私』(講談社文芸文庫他)

新潟が生んだ近現代小説家(2) 平出修『逆徒』(春秋社1965年刊『定本 平出修集』他)

新潟が生んだ近現代小説家(3) 小川未明「野ばら」(岩波文庫『小川未明童話集』所収)

新潟ゆかりの文学者たち(4) 小田嶽夫『三笠山の月 小田嶽夫作品集』(2000年9月 小沢書店刊)

新潟ゆかりの文学者たち(5)  相馬御風「小川未明論」(1971年12月角川書店刊『近代文学評論大系』第4巻所収)

新潟ゆかりの文学者たち(6) 堀口大学「皮肉でなしに」(1987年12月小澤書店刊『堀口大學全集9』所収)

新潟ゆかりの文学者たち(7)松岡譲筆録・夏目鏡子述『漱石の思い出』(1994年7月文春文庫)

新潟ゆかりの文学者たち(8) 西脇順三郎 詩集『旅人かへらず』(那珂太郎編『西脇順三郎詩集』所収 1991年11月岩波文庫)

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