【三浦展の社会時評】 第14回「中国で考えた消費社会の今後」

6月半ばに中国杭州で公演をしてきた。テーマは私の著書『第四の消費』(2012年4月刊)、『永続孤独社会』(2022年6月刊)、『再考ファスト風土化する日本』(23年4月刊)に沿った内容で、演題は「第五の消費と孤独社会」といったものだ。

『第四の消費』はすでに2014年に中国で翻訳出版されてロングセラーになっている。2016年頃に中国の商工会議所会頭が勧めてくれたらしい。会頭には17年に上海でお会いしたが、当時まだ44歳くらいだった。

『永続孤独社会』は中国で『孤独社会』として今年5月に翻訳出版されたばかりなので、講演への関心は高かった。

集まったのはEコマース業界関係者1000人ほど。杭州郊外の、千葉県の幕張新都心のような新しい展示・会議都市のなかのインターコンチネンタルホテルが会場だ。中国の講演会はとても派手な演出なので、まるでミュージシャンのライブのようで恥ずかしい。

中国に行って講演するのはこれが4回目だが、2017年以来、中国から日本に研修に来る人たちには何十回も講演をしてきた。コロナ中はネットによる講演会だけで、回数も少なかったが、今年になりコロナが明けて、また月に3回ほど講演をしている。
面白いのは17年と23年という6年間で、中国社会が変化・進歩している点だ。17年は、中国はまだ第三の消費社会に入ったくらいかなという感触だったが、今は第四も過ぎて第五に入ったと言う人もいる。

「第四の消費」とは日本の過去100年の消費社会の発展段階を25年ごとくらいに分けて解釈したものである。
第一の消費社会は戦前、大正から昭和初期であり、中流家庭というものが台頭し始めた時代。少し洋風化したライフスタイルが始まり、大都市なら都心にオフィスビルで働く夫、住まいは電車に乗って郊外の一戸建て、妻は専業主婦でターミナル駅の百貨店で買い物。日曜日は家族揃って郊外の遊園地へ。こういった現代のわれわれの生活の原型ができた時代である。

第二の消費社会は戦後の高度経済成長期。中流家庭が日本全体に広がり、一億総中流と言われた時代である。大量生産・大量消費時代となり、家電は全世帯に普及し、マイカーも半数以上の家庭に保有された。

第三の消費社会は1980年代が中心であり、テレビが一家に2台、クルマも一家に2台、3台、ラジオは一人1台、腕時計は一人3個ということが当たり前になった時代だ。家族中心の消費が個人中心の消費になり、したがって個性、多様性が重視され、そのためデザインやブランドが重要になった。多様化の一環として高級化も進み、女子大生でも海外高級ブランドのバッグを持つ時代になった。

第四の消費社会は2000年以降であり、無印良品に代表されるシンプルな消費が広がった。欧米志向が弱まり、日本文化が再評価され、地方志向も強まった。ナチュラルでエコロジカルな消費が好まれ、家やクルマはシェアでいいじゃないかという価値観も広まった。若者はスローでリラックスしたライフスタイルを求めた。

中国は1990年代から経済発展したので、消費社会にはまだ30年ほどの歴史しかない(100年前の上海は別として)。1990年代から2010年代が第二の消費社会に相当すると思うが、日本なら1960年代にあった家具調ステレオや1970年代に流行ったコンポーネントステレオを彼らは知らない。当然LPレコードも知らない。いきなりCDなのだが、それも輸入盤であり、かつ盤に穴が空いていて全部は聴けないものがあったらしい。90年代にはまだビートルズすら知らない人が大半だったという。
テレビも最初から液晶という家庭が多いだろう。電話も最初から携帯という人が多いのではないか。つまり日本の30歳以下と同じで、ファックスもブラウン管テレビも固定式電話も知らないのである。

コンビニはあるがスーパーとほぼ同時に増加した。ショッピングモールもほぼ同時に増加した。いやEコマースも同時である。日本なら第二、第三、第四という段階を経て発展した業態が一時代に同時に成長したのだ。そのかわり百貨店はあまりない。

だから日本の消費段階を当てはめて考えること自体が無理なのだが、ある程度の経済発展を遂げてしまった彼らは、これから中国はどこに向かうのか、どこに向かっていけば良いのかがわからない。だから私の本などを読んで必至に考えているのでる。

第二の消費社会が一段落したのはたしかだが、地域差があるので、まだまだ第二の消費の途中だという地域もあるという。

都市部は第二が終わったとしても、そこから第三に向かう人といきなり第四に向かう人がいるように見える。自分の会社を作って成功して富裕層になった人は高級品をたくさん買う。海外旅行もする。つまり第三の消費型の消費者になる。

だが、20代の若者は気がついたらもう豊かな社会ができていたので、第三の消費には関心を持たず、すぐに第四の消費のスローなライフスタイルに向かう、ということが起きているようだ。

中国が完全には第三の消費社会にならないという可能性は、他の視点からも予測できる。つまり個性化をどこまで認めるかという問題である。多様化と個性化は1950年代のアメリカの消費社会のイデオロギーである。それを日本は輸入した。クルマも家もファッションも、一人一人が自分の好みで選べる消費社会を作りだしたのである。

だが中国はそこまでは行っていないし、政治体制上、行けるかどうかわからない。個人の自由、個性の主張を、欧米や日本ほどには認められないだろうからだ。

それと関連するが、講演会場から、ある商品についてポジショニングをして開発することは重要かという質問をされた。ポジショニングとは、簡単に言えば現状の市場の中にまだ開拓されていない隙間市場を見いだすことであり、そのポジションに新商品を投入する。

だが今の日本を考えると、ポジショニングで隙間を見いだすことはかなり難しいと思う。缶コーヒーだけでも500種類あると言われるほど商品が多様化している。500種類の缶コーヒーをポジショニングしたら、市場はすべて埋め尽くされているはずだ。

たとえば、最近新発売されるビールはどれも美味いなあ、でも味はどれも似ているなあと私は思うのだが、それは、ポジショニングによって今までにない味のビールを出すより、シンプルに美味いビールを出すことがセールスにつながる時代になっているからだろうと思う。
第三の消費社会的な、個性化、多様化の時代がついに終わり、本質追求の時代になったのだ。それは第四の消費的な現象である。

とすると中国は、無駄に第三の消費社会を経験しなくていいから、いきなり第四の消費か、第五の消費か、私もわからないが、いずれにしろ、もっと商品の本質を極める方向に行くべきかもしれない。

第三の消費は、デザイン、ブランド、ネーミングなどの表層的な差異を訴求して、無駄使いをさせる傾向が強い消費スタイルである。それはSDGsの時代にはふさわしくない。そういう観点からも中国の消費者は、だれもが第三の消費を楽しむ社会に向かうのではなく、そこを素通りして、第四の消費社会に向かうべきなのかもしれない。

三浦展(みうらあつし)

1958年新潟県上越市出身。82年一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。86年同誌編集長。90年三菱総合研究所入社。99年カルチャースタディーズ研究所設立。消費社会、世代、階層、都市などの研究を踏まえ、時代を予測し、既存の制度を批判し、新しい社会デザインを提案している。著書に『下流社会』『永続孤独社会』『首都圏大予測』『都心集中の真実』『第四の消費』『ファスト風土化する日本』『家族と幸福の戦後史』など多数。

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