【市町村長リレーコラム】第10回 新潟県糸魚川市 米田徹市長 「ジオパークで持続可能な発展を」
新潟県内30市町村の首長に、地域での取り組みや課題や首長としての想いなどをコラムとして寄稿いただき、次に寄稿いただく首長を指名いただきつないでいく「市町村長リレーコラム」。第10回は、新潟県上越市の中川幹太市長からバトンをつないでいただいた、新潟県糸魚川市の米田徹市長のコラムをお届けします。
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早いもので、私がジオパークに関わるようになって、約15年の時が流れました。
これまでの活動を振り返りますと、2007年10月、東京都文京区にあった「地質情報整備活用機構(通称GUPI)」の事務所に、ジオパークに取り組もうとする11地域の代表が全国レベルで初めて一堂に会したことは、ジオパークの実現に向けた大きな一歩でありました。
その年の日本ジオパーク連絡協議会の設立を経て、現在の日本ジオパークネットワークの誕生となるわけですが、この15年間で、日本におけるジオパーク活動は広く普及し、現在、日本国内の世界ジオパークは10地域、日本ジオパークは46地域となりました。
この間、毎年開催される全国大会や全国研修会には多くの方からご参加いただき、熱い思いの共有と活発な意見交換が行われてきました。また、日本ジオパーク委員会並びに関係学会の献身的なご指導とご助言により、日本のジオパークは他の国に誇れる「ジャパンモデル」と言われるまでに成長しました。さらに、国会議員によるジオパーク議員連盟の設立やユネスコ正式事業化など、実に多くの関係者の皆様のお陰で、ここまでジオパークが普及・発展できたものと思っております。
さて、糸魚川ジオパークにつきましては、1987年に「フォッサマグナと地域開発構想」を策定し、当地ならではの地質資源を地域づくりへ活用するための取組を開始いたしました。
この時から私は市議会議員として関わってきた経緯があります。
この構想は、フォッサマグナの学術的解明、それらの情報収集と施設整備、自然資源と文化遺産を結び付けることによって、糸魚川を専門家や学生、一般の人々が訪れる地球探訪の場にしようというものでした。
また、世界ジオパークの理念である「地域の自然資源と文化資源を保護し、教育や研究等に有効活用する」ということが、この構想とぴったりと合致し、1991年には、市内にある重要な野外見学地を世界に先駆けて「ジオパーク」と呼び始め、1994年にはフォッサマグナミュージアムが開館し、現在、糸魚川ジオパークの拠点施設としての役割を果たしております。
そして、2009年には、日本初の世界ジオパークに認定され、これまで3回の再認定を受けるに至っております。
ジオパークは、各地域個々に認定されるものですが、認定だけが目的となってしまっては、認定後の活動がそこで止まってしまいます。しかし、ジオパークは多様性に満ちた目的に向かって取り組める事業であり、住民、行政、関係機関が持続可能な地域社会の実現のために共に考え続けていくことが求められています。このため、4年に一度の再認定審査が行われますが、定期的に活動状況が確認されることは、更なる質の向上につながっております。
さらに、ジオパークは、大地が基本要素ですが、大地の多様性により、動植物、歴史、文化が成り立っております。それらの仕組みの素晴らしさに気づき、その魅力を世界に向けて発信できるのは、今まさにその大地の上に住んでいる人に他なりません。つまり、そこに暮らす住民が、その価値を認め、理解し、守ることで、初めてジオパークが輝きを増すものと思っております。
今後も「糸魚川ジオパーク」の魅力を発信することで、交流人口の更なる拡大や地域経済の循環につなげ、持続可能な発展を目指して参ります。
【市町村長プロフィール】
糸魚川市長 米田徹(よねだとおる)。新潟県糸魚川市出身。1949年2月生まれ。 1971年、金沢工業大学工学部土木工学科卒業。糸魚川市議会議員を経て 2005年に糸魚川市長選挙に初当選。現在5期目。趣味は木彫、そば打ち。影響を受けた人は佐々井秀嶺(ささいしゅうれい、インド仏教の復興の指導者)。影響を受けた本は「破天」著・山際素男。