【コラム】「日本政府観光局バンコク事務所長のころ~東日本大震災の発生」 新潟県元副知事・中国運輸局長 益田浩

 

はじめに

今年の夏は暑いですね。今年も夏も、と言うべきかもしれません。この異常な天候が常態化しつつあると感じます。先月、新潟県では気温が体温を超える日が続き、日本で一番暑い地域として新潟県内の地域が取り上げられたニュースを何度も目にしました。あわせて、水不足も深刻と聞いており、新潟が誇る米など農作物への影響が心配です。一刻も早く水源地や農地にまとまった雨が降って欲しいものです。私の住んでいる広島県は、暑さは同じく厳しいものの、台風の影響で降雨があったためか、水不足の心配はあまり無さそうです。

さて、9月になると、プロ野球シーズンの終盤を迎えて、広島では、広島カープの勝敗に一喜一憂する日々が続きます。先日、広島カープの松田元オーナーを表敬訪問する機会があり、マツダスタジアムのカープ側ブルペンでマウンドに立たせていただきました。小さい頃からのカープファンなので感動しましたよ。現状では、首位の阪神タイガーズとの差が開いていますが、2018年以来のリーグ優勝、1984年以来の日本一を祈願しています。今シーズン、新潟県魚沼市出身の韮澤雄也選手は一軍での出場機会も増え、更なる飛躍が期待されています。新潟県でもプロ野球球団の誘致の話題が出ては消えていますね。誘致の気運が盛り上がり、いつか実現して欲しいです。

 

東日本大震災の発生前のタイ訪日市場

前回は2010年3月からのバンコク騒乱について触れましたが、この騒乱の間、JNTO(日本政府観光局)バンコク事務所長としての本業であるタイからの訪日旅行者数は、実は順調に伸びていました。一定の所得がある層(=訪日旅行ができる層)は、かえって騒乱が起きているバンコクを脱出して日本に行こう、という気分になっていたのかもしれません。同年3月のタイ人訪日旅行者数は対前年同月比で18.0%増、4月は26.7%増、5月も21.1%増と堅調であり、2010年の累計でも対前年比21.0%増の約21万5,000人となって、初めて20万人を超えました。この勢いのまま2011年を迎え、今年は30万人超えを目指すぞ、と張り切っていた矢先、大変な事態が起きました。3月11日の東日本大震災です。

 

東日本大震災の発生とタイでの反応

日本とタイは2時間の時差があります。2011年3月11日もいつものようにお昼ご飯を食べるために外出していましたが、戻ってくると事務所の中がざわついています。そして、TVを観ると、日本で大地震が起きたと。先に書いたように、3月、4月はタイの旅行シーズンであり、この日もバンコク事務所は訪日旅行を希望している多くのタイ人で賑わっていました。日本で大地震発生とのニュースが広まるにつれ、事務所のカウンターや電話で途切れること無く、「日本に行って大丈夫か?」と聞かれますが、この時点では、我々にもNHKの海外放送以上の情報は無く、大混乱していました。この日は金曜日で、週末の間も日本の被害の情報収集に努めましたが、日本では大きな余震も続いており、被害の実態が明らかになるにつれ、呆然としてしまいました。タイではほとんど地震が起きません。

地震に対する潜在的な恐れがある上、この年の2月22日にニュージーランドで発生したカンタベリー地震では、6人のタイ人が亡くなったことから、地震への恐怖心が増幅されていました。折悪しく、東日本大震災の発生日にタイの閣僚クラスが東京に滞在しており、「人生最大の恐怖だった」との体験談がタイのメディアで大きく取り上げられました。そこに津波による福島原発の被害・放射能汚染の発生です。タイのメディアでは、日本の子供が防護服を着た大人に放射能汚染の検査をされる様子が取り上げられました。津波もタイ人の恐怖の的です。2004年12月26日に発生したスマトラ沖津波により、プーケットなどタイ全土で5,000人以上が亡くなっています。そして、放射能汚染が加わると、日本への訪問意欲は見事に消滅しました。翌週から、バンコク事務所を訪問するタイ人は消え、電話も鳴らず。スタッフはひたすら日本の情報収集に追われていました。

このような状況下で、韓国観光公社バンコク支社は、そのHPで「日本は全国各地が放射能まみれなので、安全な韓国に旅行しましょう」とネガティブキャンペーンを行い(注 正式に抗議し、削除させました。)、タイの訪日旅行取扱最大手の旅行事業者は「10月まで訪日旅行を販売しない」と宣言しました。日系最大手の某旅行事業者も早々に訪日旅行を販売中止しています。ただ、HIS社は「うちは日系事業者だから」と、売れないにもかかわらず、あえて訪日旅行の広告を出し続けていました。疾風に勁草を知るというところでしょう。同社はその後のタイの訪日旅行ブームを牽引し、大きな市場をつかみました。今も、当時の代表とはともにタイ市場を開拓した友として友誼を深めています。また、新潟県庁に在職した際、東南アジアからの観光客誘致のため、HISベトナム支店から研修生を受け入れましたが、この頃のご縁が生きています。

 

暗中模索の時期

話を戻します。東日本大震災直後は、首都圏でも計画停電も続き、多くの観光施設や交通施設が休止状態であったことから、観光庁は被災地等の復興復旧を最優先とし、訪日プロモーションは当面行わないとの判断を行います。JNTO海外事務所は何もしなくて良いということです。そうは言っても何かできることは無いかと、事務所内で検討した結果、タイの訪日旅行事業者やメディアに対して、毎日、タイ語と英語により、交通機関、宿泊施設、商業施設などの復旧情報を発信し、訪日旅行に対するつなぎ止めを図っていました。この取組みが後日、タイの訪日市場の反転攻勢に大きく役立ちます。

また、この頃は在タイ日本大使館が中心となって、放射能汚染の状況に関する正確な情報発信を行うイベントが繰り返し開催されていましたので、積極的に参加して、日本の観光地の情報も発信するようにしていました。このように手探りで必死に日々を過ごしているうち、徐々に訪日旅行に対する風向きが変わってきました。この一見、普通の画像は何を意味しているのでしょう。今より太っていますね。ここから次回とします。

益田浩

昭和61年3月私立修道高等学校卒業、平成3年3月東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種(法律)合格。平成3年4月運輸省採用。平成9年7月運輸省大臣官房人事課付(英国ケンブリッジ大学留学国際関係論)、平成27年7月自動車局自動車情報課長、28年6月大臣官房参事官(税制担当)などを経て、29年7月新潟県副知事。令和2年7月内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官、令和4年6月国土交通省中国運輸局長。

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【コラム】「JNTO(日本政府観光局)バンコク事務所長時代」 新潟県元副知事・中国運輸局長 益田浩

 

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