【市町村長リレーコラム】第11回 新潟県妙高市 城戸陽二市長 「変わるべきこと、変わらざること」
新潟県内30市町村の首長に、地域での取り組みや課題や首長としての想いなどをコラムとして寄稿いただき、次に寄稿いただく首長を指名いただきつないでいく「市町村長リレーコラム」。第11回は、新潟県糸魚川市の米田徹市長からバトンをつないでいただいた、新潟県妙高市の城戸陽二市長のコラムをお届けします。
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新たな立場での一年を振り返って。
「光陰矢の如し」と言われますが、本当に月日の経つのは早いもので、市長に就任してあっという間の一年であったと実感しております。
私の住む家の周りは、妙高市同様に人口減少が大きく、コミュニティの基本である隣組は、12世帯から6世帯と半減しました。このままではいずれとの危機感から、何かしていかなければとの思いが、行政職員としてではなく新たな道を志すキッカケとなりました。
「人口減少への挑戦」として、自分だけでなく、市民の皆さんから行政に関心を持ってもらい、人口が減少しても妙高、地域を残すため、市民と一緒になって取り組む「やろうよ!妙高」を掲げ、市長選挙に臨み、多くの皆様からの支援をいただき、今に至っております。
岸田首相が「人の話をよく聞く」が特技だと語っておられましたが、私も就任した時に、自分自身の経験だけに頼らず、これまでの歴史や多くの人に学びながら市政を担うことを申し上げました。
以来、市役所内部での業務や議会対応、外部団体等の意見交換会など行ってまいりましたが、その中で感じたことは、行政職員として市長を見てきた立場と、実際に市長となった立場では、見える風景が違うことや、多くのことを即決していかなければならないなど全く異なることでありました。
前任の市長は、20年の経験があり、その後任として、市長に就任いたしましたが、市政運営を行う中で多くの葛藤もありました。行政には継続性がなによりも大切なことだと、行政職員として考えておりましたし、孔子も論語の中で、親の後を継いだなら3年は同じようにすることが親孝行だと申しております。
前市長に行政職員として仕え、行政の継承を掲げた立場としても、その考えは変わりませんが、多くの人と接する中では、変化や違いを求められる場面が多くありました。その度に、自分は何のために市政の舵取り役を目指したのか、改めて自分自身に問い、決してブレない考えを持つことが何よりも大切だということに至りました。
何が何でも従来のやり方に固執するわけではありません。行政運営においても、変わってはいけないものと変わっていかなければならないものの二つがあります。行政にとって変わってはいけないもの、それは当たり前のことでありますが、「市民が主役であること」です。
そのために、市民からの声は否定から入らないこと、そのことは議会においても同じであり、市議会議員からの声は市民の声であるとの認識のもと、否定ではなくできる限り実現可能性を探ることとしています。
また、市民の声を聞くことは自分一人では限界がありますので、市職員に対しても可能な限り現場に出向き市民と接する事を就任時にお願いしました。行政への市民の皆さんの関心を持っていただくためにも、市政への参画の新たな仕組みなども検討しております。
一方、変わっていかなければならない、変えていかなければならないと考えているものは、職員の育成方法です。
人口減少問題は、行政職員の確保においても例外ではありません。退職者の補充が厳しくなっている現状や、多様化する課題に対応するためには、特に若手職員をいち早く育成することが必要です。
そのためには、若手職員に経験を重ねてもらうことが、何よりと考え、市の総合計画策定の中心を担ってもらうこととし、その中で市民との意見交換についても積極的に関わってもらうこととしました。一方、若手職員のチャレンジを後押しする意味で、失敗を容認できる職場づくりやメンターの充実を図っていきます。
「不易流行」変わらないものの考えを大切にしながら新しいチャレンジを忘れず取り組みを進め、人口減少が住み続けられる妙高に果敢に挑戦してまいります。
【市町村長プロフィール】
妙高市長 城戸陽二(きど ようじ)。1967年4月6日生まれ。1986年高田高等学校卒業、1990年千葉大学法経学部法学科卒業。1990年に妙高高原町役場に入庁し、2005年には妙高市役所に移籍。2012年に危機管理室長、2016年にスキー国体推進室長、2019年に観光商工課長を歴任。2022年11月25日、妙高市長に就任。趣味は夫婦での旅行。愛読書は「論語」と内田康夫の旅情ミステリー。