【第5回ー②】くびき野の文化フィールドを歩む―1990年~2023年 石塚正英(東京電機大学名誉教授)
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【第5回ー①】くびき野の文化フィールドを歩む―1990年~2023年 石塚正英(東京電機大学名誉教授)
5-2.くびき野ストーン3兄弟の勢ぞろい
次に中山石(なかやまいし)。柿崎区上中山集落に産出する白色凝灰岩。
地元では白石(しらいし)とも呼びます。柔らかく加工しやすいため、すでに中世の板碑や五輪塔の石材として使用されました。なお、柏崎市立博物館所蔵の縄文期の石棒(陽石)にも白色凝灰岩が使用され、その特徴から中山石の可能性が高いです。
この他、近世期造立の石仏をはじめ、墓石や石鳥居など様々な石造物の素材ともなりました。また多孔質のため火に強く、湿気を呼ばないことから、家屋の土台石(礎石)や囲炉裏の縁石、石蔵の素材など、近年まで幅広く利用されました(『柿崎町史通史編』)。その流通範囲は周辺の柏崎市や刈羽郡、上越市域に及んでいます。
1950年代後半からセメントやコンクリート製品が普及し、中山石の切り出しや生産は急速に衰えました。当時の石切り場跡は、上中山集落の神社裏にあり、当時は発破で岩を崩した後、カケヤで大割りし、ノミ・チョウナなどで、厚さ六、七寸程度の石材に仕上げたそうです。
(5-3に続く)
1949年生まれ。18歳まで頸城野に育まれ、74歳の今日まで武蔵野に生活する。現在、武蔵野と頸城野での二重生活をしている。一方で、東京電機大学理工学部で認知科学・情報学系の研究と教育に専念し、他方で、NPO法人頸城野郷土資料室を仲町6丁目の町家「大鋸町ますや」(実家)に設立して頸城文化の調査研究に専念している。60歳をすぎ、御殿山に資料室を新築するなどして、活動の拠点をふるさと頸城野におくに至っている。NPO活動では「ますや正英」と自称している。
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