【第5回ー③】くびき野の文化フィールドを歩む―1990年~2023年 石塚正英(東京電機大学名誉教授)

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【第5回ー②】くびき野の文化フィールドを歩む―1990年~2023年 石塚正英(東京電機大学名誉教授)

5-3.くびき野ストーン3兄弟の勢ぞろい

最後に切越石(きりこしいし)。これは上越市安塚区大字切越に産出する凝灰岩の石材です。

同地区は安塚区と牧区との境界地点にあり、慶長2年の『越後国郡絵図』には「桐越」とありますが、現在は「切越」と呼ばれています。この集落の東方に長倉山(標高610メートル)が迫る。

ここの山麓から南部の山塊は凝灰岩であり、中腹には地層の露頭も見られる。ここの凝灰岩は水分を含み、柔らかくて加工しやく火に強いので、昔から石材に利用されてきました。

生活用具としては敷石、かまど、囲炉裏の縁、井戸側、土台石に利用されました。石造物としては墓石、神明社の石灯籠、石仏などに用いられまし。

大正末年まで地元の石工池田彦右衛門が職人を使って営業していましたが、現在、切越石の名は安塚区にもほとんど知られていないようです。

 

そうであってはなりません。昔からの地元産石材を再利用して、近代地域文化としての“くびき野ストーン”を、くびき野を彩る郷土文化遺産を活性化するプランを実現するべきです。

そのことを視野に入れて、私は「くびき野ヘリテージ」と称するNPO独自の文化財認定制度を設立しました。

これを運営するに当たって心がけている点は、第一に地域住民の目線からみた郷土遺産・文化財に意味を持たせることです。専門研究者が認定する学術的価値のほかに、地域住民が生活上で実感する生活文化的価値に重きをおきたいのです。

「くびき野ヘリテージ」を介してくびき野文化の特徴・個性を学び知る人は、郷土における就労や生活において明日からの目的意識が明確になる、そのような郷土人の育成、これが本制度創設の目的なのです。

こうして“くびき野ストーン”を市民に紹介する運動は、その当時に足場を築き始めたと言えます。詳しくは以下の拙稿を参照願います。

近代地域文化としての“くびき野ストーン”―頸城野を彩る―

 

(第6回に続く)

石塚正英

1949年生まれ。18歳まで頸城野に育まれ、74歳の今日まで武蔵野に生活する。現在、武蔵野と頸城野での二重生活をしている。一方で、東京電機大学理工学部で認知科学・情報学系の研究と教育に専念し、他方で、NPO法人頸城野郷土資料室を仲町6丁目の町家「大鋸町ますや」(実家)に設立して頸城文化の調査研究に専念している。60歳をすぎ、御殿山に資料室を新築するなどして、活動の拠点をふるさと頸城野におくに至っている。NPO活動では「ますや正英」と自称している。

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