【コラム】「ジープ島物語」ここには都会にある物は全てなく、都会にない物が全てある 第1回「幼少期の思い出」ジープ島開島者吉田宏司(新潟県上越市在住)
私が生まれたのは、1956(昭和31年)11月8日、新潟県上越市(旧高田市)本町1丁目である。ここは、当時たいへんな豪雪地帯として知られ、真冬には家の1階は雪でふさがってしまい、2階から出入りしたり、向いの銭湯に行くには、雪のトンネルを通りながら行ったものであった。そして、小学校の通学時にはそのトンネルの上を歩き、あちこちに「高圧線注意!!」の看板があったように記憶している。
しかし、雪が消え春になると多くの桜が咲き出し、日本三大夜桜の高田公園(現・高田城址公園)に花見に出かけたものである。そして夏には自転車を走らせて日本海で泳ぎ、秋には紅葉の中、儀明川で釣りを楽しみ、冬はスキー発祥の地の金谷山でスキーに明け暮れていた。実に春夏秋冬の四季がはっきりとした土地と云えよう。そして、この土地はたいへん変化に富んでいて、標高2,454mの妙高山の山麓から日本海へとすぐ抜けられ、山と海の幸が豊富で、また同時に1日で山と海を楽しめるという素晴らしい土地でもある。
私は3歳で真冬にスキーを履いて家出している。当時本町通りは、冬になるとスキーヤーでごった返し、毎日家の前を通るスキーヤーを見ていて、そう決めたように思われるが……。動機は全く定かではない。今になって思えば、元々私には放浪癖があったような気がする。
その当時、私が最も遊んだのは、小学4年生の夏休みだった。学校から帰ると通信簿を放り投げ、白いランニングシャツに麦わら帽子をかぶり、タモと虫カゴを持って、くる日もくる日も蝶やトンボやカブトムシやクワガタを追い求めて、金谷山の赤土の山の中を転げ回っていた。そして、日曜の午前中には、TVでアフリカのケニアを舞台に悪人たちをやっつける「ターザン」や世界中を旅して、酋長や王様に会う「兼高かおる世界の旅」を観て更に拍車がかかり、無我夢中に狂熱していたように思う。小学校低学年まで病弱で内気だった私は、夏の日光の下で木や草や昆虫や蝶を追っかけているうちにいつしか元気になっていったような気がする。
そして、この毎年数か月続く豪雪地帯の凍てつく寒さが、子供心に南へ憧れる一つの契機になったのかもしれない。
吉田宏司
随筆家、海洋研究家、ジープ島を運営する代表者。1956年新潟県上越市生まれ。青山学院大学卒業後、ダイビングクラブを主宰しながら、約15年にわたり、ダイバーを世界中に案内し、自身も世界中の海に潜る。
1997年、40歳の時に少年時代からの夢だった「無人島を開拓して、ゲストに大自然を感じてもらう宿泊施設を建てる」と一大決心。1周275歩直径34mの無人島「ジープ島」に入島(グアムから飛行機で1時間半南下したミクロネシア連邦、トラック環礁に位置する島)。ダイナマイト漁で破壊されたサンゴの海を15年かけて再生させ、魚やイルカが集まる島へと成長させた。
シープ島は2009年に放送されたテレビ番組「世界の絶景100選」で第1位に選ばれたほか、2020年元旦放送のテレビ番組「なるほど!ザ・ワールドから新年あけまして!!奇跡の絶景スペシャル〜」に出演、雑誌「ブルータス」の表紙にもなるなど、新聞、テレビ、雑誌から多くの取材を受けている。また、世界海洋ボランティア協会の会長、海洋自然学校の創始者でもある。現在はジープ島にも行きつつ、妙高山を中心とした吉田自然塾を主宰している。
著書に「もしあなたが、いま、仕事に追われて少しだけ解放されたいと思うなら。」(KADOKAWA)、「South-ing JEEP ISLAND」(晋遊舎)がある。